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1978年研究会をやりたい。

 1978年研究会をやりたい。

 来年は2018年。平成も終わる。


 昭和の僕が、思い浮かべるのは、1968年。僕が大学に入った年。いろいろなものが壊れながら、新しいものが漠然としていたけど、見えていた時代。

 そして、1978年。戦後の終わりの終わり。新しいものが、具体的になってきたが、それがまだ何の意味があるか分からなかったけど、可能性を感じていた時代。

 1978年。僕は、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊した。この方法論による雑誌は、自分でやったからではないが、まだないと思う。編集上の手法もそうだが、創刊のために3000人のネットワークを作ったこと。参加型メディアとネットワークはコインの裏表だと思う。

 そして、1978年は、街に「スペース・インベーダー」が登場した。ポンプの編集をしながら、僕らはゲームセンターに通った。この遊びが何だか分からなかったが、時代の中で熱中出来るものは、常に、登場の時は、誰も意味なんか分からないものだ。最初から意味が分かっているものは、少しも新しくない。

 都立大学の駅前に「ヒノマル」というパチンコ屋さんがあって、日野さんという社長さんが創業した。パチンコのようにダークな業界で、彼は、裏街道との関係を拒否しながら戦い、東急線沿線にパチンコ屋を拡大していった。ゲームセンターがブームになってきたので、彼もゲームセンターをはじめた。彼は、こう言っていた。「パチンコは、景品という射幸心を煽るものだから、人が遊びに来るのは分かる。ゲーセンは始める時に絶対に失敗すると思っていた。だって、遊ぶ人に、なんのメリットもないんだから。しかし、やってみたら、連日、満員で、経営している僕が、一体、客に何を提供しているのか分からないんだ」と。

 日野さんは、戦後の経営者である。もう随分前に若くして亡くなってしまったが、戦後の経営者には分からないニーズが、スペースインベーダーに潜んでいたのだと思う。そこから、僕らの現在が拡大していく。

 1979年の、SONYがウォークマンを発売した。78年のコンピュータ・ゲームと、79年のウォークマンというモバイル機器の登場は、実に、現代の発芽だと思う。

 ウォークマンが登場して、僕はすぐに、宝島で「ウォークマン感現学」という、長い原稿を書いた。ウォークマンが登場する以前は、当時の盟友であった故・坂本正治と、アウトドア・オーディオというコンセプトで、いろいろ実験していたから、すぐに、ウォークマンの登場に反応できた。

 そして、コンピュータ・ゲームとウォークマン、この2つの意味が、2018年になって、具体的な現実となって、その意味も理解出来るようになった。

 おそらく、1978年、79年に登場したものを考えることによって、現在の課題につながるものだと思う。

 現在、僕は、複数の研究会を作っていて、それぞれに関心のある人を集め、情報交換と議論を重ねている。これは、新しい「編集プロダクション」「企画プロダクション」の試みである。1978年研究会は、出版活動を目的として、本が出来たら解散、という方式をとりたい。

参加希望者は、以下で登録の上、情報と意見をどうぞ。

▼年表

1978年
4月4日 - キャンディーズが後楽園球場でのコンサート「ファイナルカーニバル」をもって解散。
4月6日 - 東京都豊島区東池袋に60階建の超高層ビル「サンシャイン60」が開館。
4月28日 - 日本、ベトナム難民の定住を認める。
5月21日 - 新東京国際空港(現成田国際空港)開港。
6月25日 - サザンオールスターズがビクター音楽産業から『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。
7月25日 - イギリスで世界初の体外受精児が誕生。
8月12日 - 日中平和友好条約調印。
9月1日 - 東急ハンズ一号店が東京・渋谷区に開店。
9月18日 - 八重洲ブックセンターが開店。
9月26日 - 東芝が世界初の日本語ワードプロセッサJW-10発表(翌年2月発売)。
9月28日 - 日本テレビが世界初の音声多重放送(音声多重実用化試験放送)を開始。以降、NHK総合テレビやTBS、フジテレビなども音声多重放送を順次開始。
10月16日 - 原子力船「むつ」が長崎県・佐世保港に入港。
11月1日 - 長戸大幸が月光恵亮、織田哲郎、亜蘭知子らと音楽制作会社ビーイングを設立する。
11月18日 - ガイアナで、宗教団体「人民寺院」の教祖ジム・ジョーンズとその信者が集団自殺。914人が死亡。
12月28日 - 俳優、田宮二郎が猟銃自殺。

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