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座談会「まんがいのちかしょっぱいか」 真崎守とその他一同

座談会「まんがいのちかしょっぱいか」 真崎守とその他一同
◇まんがコミュニケーション/子ども調査研究所
◇1971年5月1日発行
◇定価100円
◇写経=加藤清司

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自分の描いたものが映画になるとしたら、最初から映画にしちゃったでしょうね。絵がいらなくて文字だけでやっちゃえそうだとしたら、
やっぱり文字でやっちゃうと思うね。だから、マンガでないとできない部分というのは解らないから、それを愉しみに探してゆく………

■<子守唄>から<挽歌>へ

橘川 僕たちが<はみ出し野郎の子守唄>を読んでたころは、こりゃあすぐ潰れるんじゃねえか、もうすぐネタ切れになるんじゃねえかと思いながら読んでたわけですよ。僕だけの感じかもしれないけれど……。

真崎 恥ずかしいですね。そういうことを言われるのが(笑)

橘川 それが<はみ出し野郎の挽歌>に移って全然違う所へ行っちゃったわけでしょう。あの接点というか、飛躍点が非常に解らないんですね。今日は、その辺のところを話していただきたい。

真崎 描く方は飛躍を考えない。<子守唄>のつぎに何がくるか、と自分で考えてゆくと自然にああなったみたい。ほとんど飛躍はしてないんじゃないかな。作為的に持っていこうとしたものじゃない。ただ、<子守唄>を描くまでの期間は駆け出しとしての焦りがあったでしょう。……一ヶ月間全部切っちゃって旅に出たら、あまり焦らなくなっちゃったね。

橘川 僕としてはね、あそこでなにかに分かれた様な感じがするんです。<ジロが行く><ひびく生命>と<挽歌><さびついた命>とは違うような感じで、その両方の用というのが、<子守唄>にはあったようで……。

真崎 それはあるね。そういう言い方だと。すごく当たってんじゃないかなと思う。一本の作品の中でも何でもかんでもやろうとした時期と、もう編集者と喧嘩して行くのとシンドくてかなわんから、……つまり自分側に廻ってくれる編集者とは狎れ合いで好きな仕事しておこうというのと、これは……仕事だあ! と思わないとやっていかない部分と、割と分かれてるけどね。
 何か自分のタイプとしては、理屈でわかっちゃ駄目というみたいな所がすごくあるね。だから動物的カンとか精神的反応みたいなものをアテにして描くとああなっちゃったんだみたいな(笑)、理屈でわかっちゃったら多分絵を捨てて小説にしちゃったみたいな創り方になるね。
僕の場合だと。言葉じゃなくなるんだよね。言葉をどこまで捨てちゃうかという所でマンガ描いて行くと、絵でどういうイメージを出すかというと、イメージが先行しちゃって……歌謡曲やマンガというのはすごくそういう所が多いみたいね。歌謡曲を聴いてて歌詞の意味を解るよりもこのフィーリングが欲しいみたいな所があるね。あれが大事になってきて、するともう主題歌はいらないということころで、主題歌も捨てちゃったわけね。

■死に方について

橘川 それでこれからっていう事になると、今一応死という問題が真崎さんの主題になっていて、今度の<死春期>では、どういう方向に行くのか解んないけど、その辺を少しボロ出して下さい。

真崎 子守唄を歌って、よしよしと育てられて、それから棺桶に足を突込んだら挽歌が歌われて、土壇場で僕はやっぱり死んでもしょうがないなあ、という事件に会っちゃったんで死に切れない。じゃあ死ななきゃどうなるかという部分ね。結構ウロウロさ迷ったり、みっともなく駄目になったりというのがすごくあると思うんだけど、死んだって構わないのに死に切れない。で、何でウロウロ生きてんか? みたいな話が<死春期>で続いて行くんじゃないかと思う。だから気持ちの上では、<挽歌>の次にくる話は<キバの紋章>(少年マガジン)……。

橘川 真崎さんはよく交通事故のマンガを描きますね。あんなのは、あの死に方っていうのは、核兵器の問題と同じだっていう気がするんです。

真崎 もっともポピュラリティーのある加害的な死に方は、今なんか交通事故なんかは、マンガに出た場合、説得的しやすく、象徴的な感じがするのね。だから腹切る死に方と、飛び込んでくる死に方――自分は死ぬ気がしなくて――<眼の中を夜がさまよう>なんか、子供が二人、今日帰ったら何をするかって話してて、すぐ後でガバッて死んじゃうみたい。そういう死に方って、積極的な自殺とすごく違う気がするのね。不本意な感じ、(笑)はあるんだけど。ゴダールなんか、平気で使っちゃうでしょ。<軽蔑>なんかでは、非常に唐突な感じがした。今では、あれはもう唐突でなければ、という気がするんで。あの唐突さだけがイマ的な感じがするなって気がするね。
 でも、死に対しての漠然とした予感みたいなのは、ずうっとあるみたいね。それは好んであるわけじゃなくて、どうせ死ぬんだ、みたいなのがわりと長くあって、ただ、どう死ぬんだ、という積極的な欲望が未だないんで……。

■ストーリーの問題

斎藤 真崎さんのなかで、ストーリー嫌悪みたいなのがあるでしょう。

真崎 ストーリーってのは、僕は本当に解んないんですよ。ストーリーは作るものって感じはないんですよ。在る(黒丸)ものみたいな感じがあって。だから、ストーリーを積極的に否定したり肯定するという意識がなくて、あんまり関わらないみたい。それが、少年誌なんかでは、ストーリーがないと買ってくれない。という事があるので、その場合にはストーリーを意識しますけれど。だから、<はみ出し野郎>に関してはストーリーをほとんど意識しなかったですね。
それから、<子守唄>と<挽歌>で決定的に違ったのは、ストーリーで持たせたり、泣きを入れてゴマをするみたいな気持ちを捨てちゃって、もういつ切られても仕方ないという感じでね。あれは編集会議では何べんも切られる話になったんですよ。だけど、へんな担当者が付いていましてね。これが辞表片手に毎日やってくれるわけですよ。それで、<挽歌>は12回続けられたんです。もう止めて商売しようか、と言うと、俺は何のために今日までやってんだというわけですよね。
だから、僕みたいなのが、「漫画アクション」みたいな雑誌に一生懸命に描いても、絶対に駄目だね。この話は何の話ですかなんてね。

斎藤 話にならないね。

編集部 ストーリーのことですけれど、たとえば白土三平とか手塚治虫とかの長編まんが、あれの話のすじだけを拾ってきてストーリーといい、あれはストーリーがあるからストーリーまんがだ、なんて言ってきたというのは、非常に便宜的な文学主義が、まんが批評のなかに入り込んだ結果じゃないか。ただすじをつなぎあわせてというより、まんがのストーリーの概念というのは、やはり何か文学あたりのストーリーというのとは違う何かがあるんじゃないだろうか。その辺のところをうかがいたいんですが。

真崎 今だとゴダールが出てきちゃって、ゴダールファンがいる割りにはゴダールマンガというのが描けないみたいなところがあるみたい。なぜか「どですかでん」で大ヒットして、「どですかでん」方式でいく梶原一騎になっちゃって、梶原一騎でないとマンガとしてお客さんと会話できない世界が、この4・5年でほとんどできちゃったみたいな気がするのね。だから、<ワル>なんかその典型だと思うけど、絵がいらないで、ネーム読んでいけば全部解る。
 描く側のぶっちゃまけた話を言うとね、手塚まんが以後、えんえんと作ってきたまんがの方法論というのがあって、それを梶原さんとか、小池一雄さんとか佐々木守さんが今ダメ押ししているという時代だと思う。とすると、それをみなれている読者っていうのは、マンガの読み方というのを方法として持っちゃっている。それと正面から喧嘩してもできないなあ。という恐怖感がすごくあって、だから、文字を取り払っちゃえば済むかというと、やっぱり読ませるという方法も読者の癖としてあるわけだから。その方法にのっとって読者をだましていく方法は?と考えると面白いけれども。
 セリフ取っ払っちゃった方法だと、佐々木マキさんでも赤瀬川源平さんでも、そこまで行っちゃうと、逆に額縁に入ったタブロオと変わんなくっちゃうんじゃないか。という気がするわけね。<夜盗のごとき訪れ>では駄洒落遊びって言われちゃったんだけど、言葉に意味なんてないよ、というところを大事にしたかったんで、男の言う言葉、女の言う言葉、同じ言葉だけどまるで関係ない。それがまた言葉らしいみたいなところがあって。イメージの拡散ということはあるわけだし、やっぱり描く側の押し付けたいというところがあるような気がする。言葉で限定させておきたい、と。つまり、特売品のなかの、豪華品なのか、普及品なのか、みたいなね。

■世代

真崎 盃ちゃん(子守唄、挽歌の主役)の死に方というのは、自殺の典型だと思いますね。殺す他に自分の死に方がないみたいで。あれはすごくスケベな描き方したんですけどね。結局、腹切って死んじゃうのが40代で、ドカーンというのが30代で、ドージョって死んじゃうのが20代なんで、それから死ぬことすら知らないガキっていうのが一人いて……

橘川 女ということもありますね。

真崎 ウン、女子供は一蓮托生。ヤバイけどね。ただ世代によって死に方を少しずつ変えたいって気がするね。変わって欲しいって願望がありますね。僕なんか、そろそろ30で。

橘川 それで聞きたいんですけど、真崎さんは来年で30歳ですね。それで<眼の中を夜がさまよう>で、ドント・トラスト・オーバー・サーティーって言ってましたね。それで来年はやっぱり重要っていうか、J・レノンが今年の10月で30になったわけだけども、その前にビートルズは解散しなければならなかったでしょ。20というのはパッションの問題だから、パッションのはくしょん、で成っちゃうわけだけど、30というのは思想が関わってくると思いますしね(笑)

真崎 ただ、それは誕生日からの30台と時代意識としての30代というのとは、すごくズレているような気が最近しますね。僕なんかだと、いまの自分の感覚って20代のガキみたいな所があるね。街へ出るでしょう。35歳以上の人と話すと絶対駄目なのね。駄目っていうのは、狎れ合いの会話というのができちゃうのね。いくら話しても傷つくことはないし、結論はちゃんと用意されて話すみたいで、20代ってのは話してピンピン来るのね。相当ガックリくるしね、2日位は仕事ができなくなったりしてね。
 思考方法は、 やっぱり僕の齢と20の人とずいぶんズレがあるね。だからそれは、狎れ合いで話しても解らないものだけど、僕も興味があって……

斎藤 「間引かれ派」というのは何ですか? あれはよく解んないんだ。

真崎 僕も解んないですね。記憶がないから、認識としてはないわけですよね。後から理屈をつけるわけです。それは文句をいわれたら、何も答えようがないんですけど、やっぱり、産めよ殖やせよ、という事が解んないわけですよ。で、解りたいという気があるんですよね。割とどっちでもいいや、みたいな暮らしをしてるでしょ。
 白土三平さんの作品に出てくる死に方だとね、結局、飢えがあって、何とかがあって、一揆か、というのがあって、あの裏には一揆に行かなければ、うば捨てに行くみたいなところがあるんですよね。だから、生まれた結果、やっぱり駄目なら死ねみたいなところがある。僕の時代というのは何かこう、いつでも飛行機に乗って飛び込め、みたいな事を課題にして産ませられた。それで産むたびに町内でお祝いしたみたいなもんでね。飛び込む者ができたからお祝いするというのは、とても面白いと思う。
 焼け跡っていうのは記憶がまばらにあるね。戦争の記憶なんて、何にもないです。ただ考えて行くと面白いと思うと、それは戦争だったりチャンバラの時代だったりするわけだけど、時代とか場所とか関係なく、とても面白い時ってあるんだよね。
国中みなヒステリーみたいな所があって。個人の自殺は今一生懸命描いているんだけど、国をあげての自殺なんて、とても想えないよね。国をあげて自殺するなんて、壮大なロマンであって(笑)

斎藤 つまり真崎・守氏とか僕とかっていうのは、戦争は終ったというのは覚えているけどさ、どのような責任も考えられないわけね。

真崎 そのとおり。

斎藤 にもかかわらず、その中に幼児体験としてはさ、ブザマに抑制された、というのかな、あるいは染めあげられたものとしてさ、俺の中に一種のヨコシマなものとしてね(笑)、そういうものが残っているんじゃないかと思う恐怖感はあるよ。

真崎 変な話だけど、佐野美津男さんが<浮浪児の栄光>って言うだろ、<栄光>なら立派だなという気がするのね。野坂昭如が、焼け跡でグレるという。グレる意志があったというのは、すごいなあ、と思う。羨ましいよね。野坂さんのやっぱり読んでて、自分でじゃあどうすべえか、という判断は自分でちゃんと持ってて、何かやってきて、いくら悲愴な言い方をしても、僕なんかからみれば、立派なもんよ。少なくとも何かの事件に自分の意志を働かせられたというのがあれば、それはそれでね。やむをえないとか、仕方なかったとか色々あっても、やはり意志の働く余裕が許されたというのは、とても羨ましいね。

編集部 はあ、そういうもんですか。世代ってのは、世代のちがうところからみると、見取図が全部違ってくるんでしょうね。意志を働せる余裕が許されたのが羨ましいっていうのは、どういうのでしょう。

真崎 たった今、現在考えてる話ってのは、一人遊びとは何か、ていうんで、ヘンな話だけど、死んでも学校に行きたくないって泣きながら学校へ行ってみたいなのは、大人になってどうなっちゃうのか。養老院のなかでちゃんと暮らしていける人と、暮らし切れない人がいて、そういうのは自殺しちゃう、暮し切れる人というのはガキの頃そういう体験を通ってきた人で、養老院に入っても一人遊びができちゃう人でね。
 孤立というのは、ほんの一時期だと思うのね。それが一年も二年もたつと、それは孤立じゃなくなって、きっと慣れになってしまう。

斎藤 それは僕には割とよく解る気がするんだ。で、一人でいられる子は、カッコいいとか強いとか聞えるわけだけど、逆にイザとなりゃそうやってやっていけるということがあって、日常性の中ではさ、他の人以上に滑らかでないと、こりゃ塩梅よくないということがあってさ。だけども、駄目だと思えば全部駄目になってもやって行けるみたいなものがね、中にある。そういうタイプの人が、真崎さんのマンガによく出てくるけどさ、僕にはすごく解るんだな。

真崎 幼児期の孤立体験なら、僕の世代みなそうなんです。自分の年代の人に話すとね。皆俺もそうだって言っちゃうんです。これがいやらしくてね。恐いわけですよ。<ジロが行く>って話はそれだけなんですよね。孤立してたガキはどこへ行くか、て、行きどころがないわけですよね。皆なが、抒情だなんだっていうでしょう。一生懸命やるほど皆な裏目に出ちゃうじゃないか(笑)というヒドイ話なんだ、あれは。幼児体験で孤絶状態に陥った子が、もの心つくとどういう状態になるか解んないけど、要するに物事に対する執着心とか向上心がすごく欠落してゆく感じしますよね。だから出世してやろうという意識がすごく希薄になりますし、僕なんか同業者がビル建てて旗立ててっていうの無条件で尊敬しちゃうのね。俺はそういう感じ、30年持ったことがない、同じ世代の人がなぜそうなるのか解んない。解んないから、そこだけ俺は駄目だみたいなものがあって、それから向上心とか、これだけは譲れないみたいなものが、要するに熱血男子スタイルのものが、あまりないんですね。どうでもよいじゃないの、みたい。

■しらけて描く

斎藤 真崎さん、マンガ描いててしらけちゃう?

真崎 割としらけていますね。しらけるというか、カッカとして描く描きかたと、割と醒めて描くという描きかたがあって、川崎のぼるさんって、やっぱりカッカしてると思うんです。飛雄馬に涙描き込んじゃえるほど、カッカしてんですね。一条直也には、涙描き込んで描き切れない、という人がいたわけですよ。あれは醒めていますね。すると、描ける描けないじゃなくて、醒めた描きかたっていうのもあるし、乗っちゃった溺れちゃった描きかたもあるし、それで文学ってよく解んないけど、例えば五木寛之さんて醒めたポーズをとりながらすごく乗ってるという感じがする。ところが、野坂昭如は絶対に乗ってなくて、醒めてる部分がきちんとあるんですよね。
 僕と宮谷一彦君が同じ素材を持ってて、宮谷君はのめり込まないと描けない。僕は醒めてないと描けないですね。

橘川 宮谷一彦の<性葬者>と<性蝕記>ね、あれ主人公が死なないわけですね。あれは非常に面白いと思ったわけですよ。あれは日常が破滅なわけですね。破滅の中に生きながら、結局破滅しないわけですよ。

真崎 だから、宮谷君って、別の言いかたをすると、30過ぎるとガラッと描きかた変わるんじゃないかという見方を、没苦は一生懸命したわけですよ。ある日醒めちゃうって生きかたよね。むしろ醒めてもらわなきゃ(笑)つらいという事があって。
 結果として醒めちゃうことがあるでしょう。主体的に醒めちゃうんじゃなくて、例えば<巨人の星>でも、最初は面白いと思うのね。甲子園まではすごく良かったし。今ではもう大リーグボールで腕が切れたというのは仕方がないみたいで、描くほうも仕方ないと思ってるだろうし、不本意に醒めちゃったはずなんだよね。<明日のジョー>は、あれは最初から醒めて描いてて、乗り出すと病気になって休んじゃたりしちゃうんで(笑)、梶原一騎さんの原作で僕が面白がって読むのは、<明日のジョー>くらいね。梶原さんの原作にのめり込んで描けるマンガ家って僕は尊敬しちゃうな。
見て満足するマンガってあるでしょ。それから、見てしらけてイライラしてくるマンガってあると思うね。谷岡ヤスジが、いくら鼻血だとしても、やっぱり欲求不満の解消には役立つけど、マンガが解消しちゃったら仕方がないみたいな気がするのね。マンガで欲求不満を解消させたらマンガは負けで、やっぱりしらけさせちまったほうがいいんじゃねえかって気がするわけですよ。

■ずっこけの異化作用


中島 僕は真崎さんのマンガを読んで、意外性があるという事を思いますね。読む人にたいしてゴマをするという態度が描きてにあまりないという気がします。

真崎 それは態度にあってもなくても、描く人間によってマンガって正直に出ちゃうね。ゴマをすろうとすれば、ゴマが出ちゃうし、ゴマを出そうとしても、技術的に出せないっていう人もいる。俺には出せないんだなあ。それは、やはり駄目だってとこがあるね。

大谷 真崎さんのマンガの意外性って、スムースさの意外性があって……

斎藤 それは感じるな。こんな事やったら、早く終わっちゃうんじゃないかって。

中島 それは桐さんと坊主が死んだときなんか、ビックリしたよ。

真崎 あれなんか、ちっとも意外じゃないと思うけどね。描く方からするとすごく自然な感じがするわけで、一年半<はみ出し野郎>を続けてきて、あそこで突然死ぬな、みたいな感じがすごく自分のなかであって、その場合、読者のこと考えないしね。それから意外性でびっくりするだろうってこと、ほとんど考えないね。

大谷 <はみ出し>のはじめのころは、主人公が割りと思い悩んだり、ゴタゴタやったりして、ああいう時期って、僕は人間として死ねないんじゃないかって気がするんで、流れにのったときにパタッて逝っちゃう死に方ってね、そのときに死ねんじゃないかと思うんですね。

橘川 あのさ、表現の問題なんですけど、表現ってExpressionですか、あの語源ってえのは、ここにみかんがあってね、これを絞ってみかんジュースにするってことらしいですね。それをある友だちに話したら、みかんを絞ったってレモンジュースができるわけじゃねぇって言いかたするわけですよ。それで真崎が描こうとして、結果としてレモンジュースができちゃったなんてことはなかったですか?

真崎 それ、とっても恐い質問ですね。今日はイヤラシイ日だね。結局ね。結果としてレモンジュースができるかどうかわからないから描くっていう方が多いわけね。だから、レモンジュースが取りたくて描いているんじゃなくて、絞る方が大事みたいなのがあるね。描く場合にね、だから、僕のマンガは元来、受けたり受けなかったりする部分がちゃらんぽらんにあるわけで。

橘川 だから、さっきは意外と思わないと言ったわけだけども、自分で描いててさ、読み直してこれは意外だったってことはないですか?

真崎 それはあのう、職業人意識っていうのはあると思うのね。歌い手さんがステージに立てば、拍手よこせという気でないとステージに立てない、というのがあるでしょ。で、マンガ家もやはり描いた以上はとにかく読ませちゃえ、というのがすごくあるね。

橘川 それは、やはり読者を意識するわけですか?

真崎 読者というか、漠然とした大衆がいるね。とにかく誰でもいいから、ページをめくったら終りまではめくらせちゃえと、どうでもいいやという事にはならないね。

斎藤 真崎・守のマンガって映画化できないね。

真崎 自分の描いたものが映画になるとしたら、最初から映画にしちゃったでしょうね。絵がいらなくて文字だけでやっちゃえそうだとしたら、やっぱり文字でやっちゃうと思うね。だから、マンガでないとできないって部分というのは解らないから、それを愉しみに探して行く、探したいっていうのがあって。マンガっていうのは、要するに絵が描かれて、印刷されてあって、それで本を開いてみるもので、開いた瞬間にこの視角のなかに入ってくるもので、必ずしも、右上のコマから順番に読んでくれるとは限らないし、ポッと開いてこの絵がよかったら、そから先にみたりするわけで、それがマンガでとても大事なことだと思う。絵で説得できちゃうものは文字にしたくないね。
 言葉ってのも、最近だんだんわかんない部分がふえてきて、意味を落っことしたい、なんて思う。<トンネラート>ね、あれはテーマってこと抜きにして考えると、セリフのコマ割りですよ。セリフをコマ割りするとマンガになるかどうか、やってみたら、たいへん評判がわるくてね(笑)

中島 <切り裂く>っていうのは成功してると思うんですけど。言葉という問題で。

真崎 <さびついた命>でプラモデルのF一〇四がでるからシリアスに描かなくっちゃならないけど<ドラキュラの子守唄>では実際の一〇四を描いちゃうとパロらないと、とても醒めて描けなくて、のめり込んじゃう訳です。うっかりすると宮谷一彦先生みたい(笑)になっちゃうし。――その間に何があるかというと<切り裂く>で切り裂こうとした行為は第三者はどういう風に受け取ってくれるかみたいな処を拡大しておかないと一話から三話に来ないわけね。

大谷 僕はあの三つでね、表現の三つの質みたいなものを分散して見せられたみたいな。

真崎 それは要するにテクニックを愉しみたいという部分があるね。それから少年マガジンらしくないテクニックにしちゃえみたいな処があって、大リーグボールがヒュッヒュッヒュッといかないマンガを描きたいと思って(笑)――実感としてすごく希薄なのは自分が割とメタメタになって描いている部分があるんだけど、何故いま、人が読んでくれるかというのが捕めないね。――百人いる人が百人こんなの駄目だって無視されても、僕は今文句を言えない描き方を一生懸命やってる気がするのね。読ませちゃえという意識が一方である裏側には、やはりどう読ませるかみたいな頑固な追及の仕方があまりしてないですね。あくまでもこれは今の話だから、三年後にまた変な事やってたりするんだけどね。

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▼座談会は、冬に行われた。橘川は20歳だったと思う。参加者は、真崎さん、斎藤次郎さん、高山英男さん、橘川。あと、大谷、中島くんは、僕と同世代の学生だったと思う。


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