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2017年のメディア問題(1)DeNA問題再考

 これまで安定的な秩序だと思われていたものが、実は内部は白蟻に蝕まれて崩壊寸前だったというような事実が続々と露呈されてきた。栄枯盛衰が常である社会現象だけではなく、もっと根底にある地殻が大きな変化を起こしているのではないのか。

 メディアは、メディアとしてだけ成立している産業ではない。現実的な国家や組織や人々の活動を投影し、乱反射を起こし、さまざまなイメージを人々に喚起させる。そのメディアがもっと本質的なところで混乱している。現在のメディアの混乱は、背景に、もっと大きな混乱状況があり、その反映ではないか。

 混乱の理由は、僕の認識では「20世紀は組織の時代。21世紀は個人の時代。今は、その過度期で、組織と個人が対立したり分離したり混乱している状態」ということである。

 それは、僕が参加型メディアをはじめた1970年代に端を発している。それまで、メディアとは新聞社や放送局、出版社などが集積した情報を世間に一方的に「放送」するものであった。メディアとは、情報を発信する組織のことを指していた

 それが、社会の安定と、通信技術の飛躍的な発展により、双方向のコミュニケーションがはじまり、旧来型のメディアの権威や信頼性が失われていくにつれて、双方向のステージそのものがメディアになった。インターネットである。

 この新しいメディア環境においても、当初は、旧来型のメディアの方法論でビジネスを追求した企業も少なくない。それの多くは敗北した。その中で、さまざまな模索が起こり、現在も、その模索は続いている。キュレーターというのも、その模索の一つだったと思う。2ちゃんねるの膨大な書き込みを一つずつ追いかけている暇は誰にもなく、まとめて概要を把握することは便利だった。しかし、その「まとめ」の方法論そのものを目的化してビジネスに応用する人たちが現れた。やらせのキュレーションメディアは、双方向のプラットホームに名を借りた、旧来型の一方通行メディアである。

DeNA問題で問うべきは「ネットの信頼性」じゃない 現代のメディアのあり方だ buzzfeed

 DeNAが、情報の中身を精査することなく、物量でトラフィックをあげようとしたことに、この問題の本質がある。僕は、以下の、日経ビジネス・オンラインの守安社長インタビューを読んで、違和感を感じた。

守安:僕はSEOが好きなんです。昔、(DeNAが運営していたオークションサイトの)ビッダーズでSEOを実施し、トラフィックを上げた実績があるので、効果的だというのは身にしみて知っています。SEO自体、悪いものだとは思っていません。

DeNA守安社長、独自インタビューで胸中明かす/日経ビジネス・オンライン

 DeNAがやろうとしたことは、無意味な情報を大量にネットに放出して、トラフィックをあげて、つまり、スパムメールと同じことだと思うのだが、その意味を理解していないのではないか。伝えたい何かがあってのSEOでなければ意味がないのではないか。

 旧来の出版社には、編集部と営業部がある。編集部は良質なコンテツンを開発し、営業部は、それをしゃかりきになって売る。両者は、社内で対立関係にあるが、その対立こそが出版社のエネルギーでもあった。DeNAは、営業部しかない出版社のような気がする。なんでもかんでもトラフィックを稼げれば、それは良いコンテンツだと社内で認識されていのだろう。編集部は、情報発信をしたい作家などの個人と、それをサポートしたい編集者がいて、すべてのコンテンツビジネスのスタートは、具体的な個人だったのである。

 80年代のバブルの時期から、出版社は営業主体の組織になってきた。銀行から出向してきた幹部は、本を、大量生産の工業製品と同じような扱いでとらえた。出版社がスタートする根本の原理とは違うビジネスモデルが勢力を持ってきた。それは、リクルートである。リクルートにとって、メディアは、広告をのせるためのビークルであり、無料で配布しても、利益が出る構造を築いた。それはある意味、インターネット時代を先取りしていたのかも知れない。

 僕は、企業というのは、儲かった儲からないより、社会的存在意味が重要だと思っている。それは経営者が何よりも自覚しなければいけないことだろう。孫正義さんは、綱渡りのようなギャンブルのような大胆な動きをしているが、根本的にある思想は「デジタル革命」だろう。それは、1980年初頭からデジタルに関心を持った人の多くが持った思想である。それは「機械がやるべきことはなるべく機械やシステムにやらせる。そして、その成果で浮いた余暇の時間を、人間は人間しか出来ないことをやる」ということだ。これは、シンギュラリティの時代に向けての、共通認識だと思う。目的は儲けることではなく、儲けることは手段なんだと思えることが「思想」というものなのだ。

 インターネットは人類が獲得した新しいメディアである。だからこそ、旧来の方法論と全く違う、新しい方法論とマナーを作り上げていかなければならないのだろう。(続く)

 4月2日に、日本未来学会では。メディアの未来をテーマにして、多くの現場の人たちとの議論を起こしていく。関心もたれた方は、ご参加ください。

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2017/4/2(日)

日本未来学会「参加型メディアの未来」

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