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鳥越俊太郎さんの錯誤と、天使について。

(1)都知事選の天使について

 2016年の都知事選は、小池百合子さんが度胸と戦術で圧勝した。猪瀬さん、舛添さんと、なんとも後味の悪い退場の仕方で辞めたあとなので、また誰が出ても、本来の仕事で評価されるのではなく、スキャンダルで潰されるのかと、虚しい気持ちで選挙のニユースを見ていた。誰だって、多かれ少なかれ、ごまかしのある人生を送っているものだ。潰す気になれば、なんでもありの状況になっている。

 しかし、政見放送を見ていると、今回は、いわゆる「泡沫候補」という人の中で、才能や信念のある人が多く見受けられた。新しい時代の到来の予感がしてきた。僕は長年、投稿雑誌の編集をやってきたから、わずかな言葉で、その人が本物か偽物か分かるほうだと思う。本物がいろいろといた。

 高橋しょうごくんは、あちこちの候補者の講演会や選挙カーに出没して、変な候補だなと思った。彼の考えや行動の意味を知ったのは投票後だった。もっと正確に知っていたら、彼に投票したのに、と思う。

 しょうごくんは、選挙が大政党の権力奪取の場になっていて、権力をとるために、きれいごとの公約を並べるが、受かってしまうと政党の論理に縛られて、何も公約が実現出来ない歴史が続いている、と指摘した。立候補者は、それぞれが民意を感じて、社会的矛盾を解決するために立候補したのだから、みんな同志なのだ、と、選挙期間中に、他の候補の応援演説を買って出て、自分の政策も公開するという、シェア選挙を実行した。

 しょうごくんは、絶対に自分は政党を作らないし、政党にも所属しない、と宣言している。僕は「20世紀は、組織と組織の闘いの時代であり、21世紀への移行期は、個人と組織との闘いになる」と思っている。しょうごくんは、まさに、この薄汚れた政党組織選挙の中に、一人の「個人」として立ち現われ、振る舞った。

都知事選に舞い降りてきた天使 高橋しょうご

高橋しょうご

「選挙は戦いではない。

どれだけ本質を突けるかだ。

政争を主眼にする政党政治家や、自分の主義主張を訴えるために選挙や都政を使おうとする人間に投票してはならない。

どれだけ本質を突けるのか、私達が問われている。」

高橋しょうごの政策


(2)鳥越俊太郎さんについて

 しょうごくんの本質的な闘いを見ていると、鳥越さんの、時代への問題意識が50年前で止まってしまっているように見えて、なんとも、無残な選挙になってしまった。鳥越さんは、60年安保を戦った世代だろう。当時は、戦後の復興期から社会に新しい生産力と利益がたまってきていて、それの奪い合いが、資本家と労働者の間で行われていた。労働者は、組合などの組織的な活動で、利益配分を少しでも労働者の方に多くするために団結してきたわけである。当時は、アメリカとソビエト(ロシア)が世界の超大国だったから、資本家はアメリカ派になり、労働者はソビエト派になっていった。鳥越さんのいう、リベラル派というのは、当時の組合を支持する文化人的なイデオロギーであろう。

 若い世代は、まだ自分が何もしていないから、若き鳥越さんも、純粋な感情で「資本家は悪、労働者は善」という視点を持ち、資本家及び資本主義に対する敵愾心を固めたのだろう。しかし、70年安保を経て、ソビエトの崩壊を経て、社会構造は、大きく変化した。日本は豊かな社会を実現し、かつての組合運動を主導した大企業や公務員の労働者は、戦わなくても充分に企業や組織からの配当が回っている。むしろ、そうしたかつての闘士たちこそが、70年代以降は、自分たちの強い利権構造を作ってしまったのではないか。現在は、資本家+組織された労働者が、巨大なレジーム(体制)を作って、大組織に入れない非組織労働者、フリーターやアルバイターを搾取している。僕がアベノミクスに対する感じる違和感は、企業と組織労働者のことしか見ていなくて、戦後組織からはずれた多くの人達が政治の視野に入っていないからだ。いわゆる無党派という人たちのことである。

 戦後のリベラル派の文化人たちも、大手メディアと結託して、自分たちの利権構造を作ってしまったのではないか。新しい独自の取材をしなくても、スタッフの調べた記事にコメントを言ってれば、ジャーナリスト芸人として人気者になり、露出度が増えれば、コマーシャル・タレントとしての仕事も入ってくる。それが利権というものである。

 今の若い世代の純粋な正義感は、鳥越さんが若者の時のように、資本家に向かうのではなく、資本家と結託して、自分たちの利権構造を作っているリベラルなものに対して攻撃的になっていくのだろう。

 若いリベラル勢力にしても、僕は若い人たちが、世の中の不正に対して異議申し立てをするのは、当然だと思う。しかし、そういう集会に、もはや権力そのものの、かつての文化人を呼んで、なんとも思わない神経が信じられない。

鳥越俊太郎「ネットはしょせん裏社会」。なるほど落選するわけですね。中妻穣太

 中妻さんは、民進党の区議として、ネットを駆使して鳥越選挙を戦った人です。その彼をして激怒せしめたのが「ネットはしょせん裏社会」という鳥越さんの発言だ。彼の言う表世界とは、新聞やテレビや週刊誌などの、旧来のジャーナリズムの世界のことだろう。そこでは、発言の自由も、応分の謝礼も用意されていて、仕事環境としては満たされているのだろう。しかし、それは、鳥越さんが、有名人という権力者という立場があったからで、自らの権力構造に無自覚なまま、民意を汲むべき政治家になれるわけがない。

 彼の言うジャーナリズムは、反体制のポジション・トークであったようだ。しかし、本当のジャーナリズムとは、そうした政治的プロパガンダではない。体制側であろと反体制側であろうと、社会的な不条理や犯罪に対して、断固として追求することだろう。鳥越さんの女子大生スキャンダルは、自らが有名テレビタレントであるという権力を利用して、大学の非常勤になり、学生を誘惑したという、岡田斗司夫と同じレベルの行為だ。こうした、偽善的な権力者の悪を追求するのがジャーナリズムであって、体制の悪口をいうことだけがリベラルなジャーナリズムなわけがない。

 選挙期間中に、木内みどりさんの以下の発言は、衝撃と悪寒が走った。組織と組織の闘いに無条件で参加し、個人の判断を許さない。組織の暴力に対して、無批判に迎合してしまうことを、信仰と呼ぶ。信仰は、同じ念仏を唱えるだけで、自分自身の判断力や、行動力を否定していく。

 水野木内みどり @kiuchi_midori 1:09 - 2016年7月26日        7/31開票後、「小池ゆり子」さんに投票したとわかった人と友達でいることは無理だと思ってる。 この日本の分かれ目、取り返しのつかない大切な分かれ目。鳥越俊太郎さんしかチョイスがないと気づいてほしい

 もはや、世界は、資本家と労働者の闘いの時代ではなくなっている。社会的な課題をひとつひとつ出来ることから解決していく実務能力のある政治家が必要だ。民進党(民社党)がダメだったのは、どうでもよいタテマエだけをもてあそんで、政治行政の経営能力が全くなかったことだろう。高橋しょうごくんの、以下のメッセージは、マスコミの人たちだけではなく、僕らすべての有権者に響いてくる。

高橋しょうご 政治家とマスコミに喝!『政権争いだけが政治ですか?』

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