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広河隆一氏問題と、小さなカリスマ問題


(1)メディアの構造変化とスターの変容

 かつてメディアとは「1対n」(NEC的に言うと、One to Many)の「放送」であった。「1対n」の「1」になるためには、巨大な権力が必要であり、システムや人材や資金が必要であった。戦争中は大本営のような国家が「1対n」メディアをコントロールし、戦後社会においては、政府と資本家(広告スポンサー)がコントロールしてきた。

 そして「1対n」メディアに登場する人は、有名人として、それ自体が稀少価値があり、無名の多くの大衆から羨望と憧憬を集めていた。映画の黄金時代においては、映画スターというのは、雲の上の大スターであり、社会生活のルールからはみ出していても多くの人は寛容であった。

 「放送」に対して「通信」というのは「1対1」の情報交換である。手紙のように当事者しか共有出来ないメディアであり、近代になり郵便制度が確立し、更に電話という電気通信技術を使った「1対1」の通信手紙が普及した。

 インターネットはまさに人類史の上での「放送」と「通信」が融合したところからスタートした。日本においては、電話交換機がデジタル化された1980年代から、さまざまな「放送と通信の融合メディア」が登場した。インターネットの本質を簡単に言うと「1対1で語り合うべき内容が、同時に世界に向けて放送される」ということだろう。

 そうした時代システムの変容は、かつての映画スターのような存在を否定してきた。テレビにおいては、等身大のタレントが人気になり、スター誕生!のような素人がテレビの人気者になるような番組が続出した。それはもう「手の届かない銀幕の星」ではなく、「手を伸ばせば届きそうな星」である。アイドルの握手会は、そうした時代の流れを読み切った活動だろう。

 インテリたちのあり方も変質した。かつては大学アカデミズムや出版業界が独自のヒエラルキーをもった村を形成していて、その世界での「偉さ」というのは、一般庶民には批判もしにくい「壁の彼方の価値観」であった。実際、近代初期のインテりと大衆では、情報の蓄積密度が桁違いに離れていたのだろう。それが情報化社会になって、あらゆる情報の共有化がはじまり、インテリと大衆の情報蓄積密度の差異もなくなってきた。「大学教授」といえばかつてはそれだけで社会的評価があっただろうが、今では、普通の専門職とたいして変わらない。

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