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ポンプ創刊前の案内書。


ぼくらは
まったく
あたらしい
ざっしを
つくろうとしています。


 ポンプ創刊以前の準備の段階が、一番重要な時期であった。
投稿雑誌には創刊号がない。投稿で作る雑誌の創刊号はありえない。
そこで僕は「ネットワーク」という概念を覚えた。

 当時、僕は写植屋をやりながらロッキングオンの編集制作をしていた。
ロッキングオンが売れ始めて、新しい読者が増えてきた。
その新しい読者が、ロッキングオンのバックナンバーを希望してきて、
その配送は手作業でやっていた。

 僕はロッキングオンを作りながら、バックナンバーを毎号200部程度残しておいた。編集部は、73年ぐらいから、僕が借りてた東中野駅そばのマンションが編集部兼写植屋になっていて、事務所の風呂場に積み上げていた。75年に駒沢に自宅兼写植工房を作った時に、ロッキングオンの編集部もそのまま移動した。家の裏にすこしスペースがあったので、そこにプレハブで小屋を作り、ロッキングオンのバックナンバーを積み上げていた。

 そのバックナンバーの注文を配送する時に、「僕はこういう雑誌を作りたいのだ」という手紙や冊子をいれたのだ。ロッキングオン誌面でも「ロッキングオンの会」というネットワークを作っていたので、その人たちにも送った。

 ちなみに、ロッキングオンのバックナンバーの在庫は、僕が辞める時に渋谷に相談した。80年になると、創刊号あたりのバックナンバーは、それなりの価値がついていたが、渋谷は「バックンバーは定価でうるべきだ」と主張して、誌面でバックナンバー・キャンペーンをやって、すべてさばいた。

 さて、ポンプの創刊前に、全面投稿雑誌の原稿を募集したのだが、何も実態のない「雑誌」のイメージを一般の人に伝えるのは大変だった。いろいろ試行錯誤をして、ある程度、コンセプトがまとまったところで、冊子を作った。それが、以下のリーフレットである。

 この案内で多くの投稿が全国から集まった。創刊する前に、一通の投稿が来なくても、3冊分の使える投稿を集めてから創刊した。創刊前に、全国で2000人近い人と連絡をとりあっていた。


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