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糸井重里の戦略。「思想の科学」1991年3月号。

「思想の科学」は、第二次世界大戦が「鬼畜米英」「八紘一宇」のような「お守り言葉」で突き進んでいったという反省から、鶴見俊輔さんが中心にになって進められて、普通の人の言葉で思想を語ろうという運動による雑誌である。今はもうない。僕自身はそんなにシンパシーを感じたことはなかったが、僕が学生時代から面倒を見てもらっていた子ども調査研究所の高山英男さんが、鶴見さんの友人で、幼少期から鶴見さんにかわいがってもらっていた黒川創くん(現在は小説家)が、思想の科学の編集部をやりながら、子ども調査研究所の仕事も手伝っていた時期があり、その関係で、黒川くんから「70年代を総括したいので原稿お願いします」と言われた。与えられた題目は「糸井重里」であった。僕が選んだのではない(笑)。同世代の微妙なシンパシーと近親憎悪を感じるところがあって、戸惑ったが、頼まれたものは受ける主義です。

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