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人生の勝率の高め方/土井英司・著/KADOKAWA ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480088055


1.出版とは何か

 出版ってなんだろう、と思う。特に、複製技術が急速に発展した近代以後の出版ってなんだろうと思う。簡単にまとめると「時代の共通体験を個人が凝縮した言葉にまとめたもの」と思ってみる。明治の近代文学は、それまでの農業を基盤とした封建社会から、明治維新による工業を基盤とした近代国家に社会の根本が変化したという時代の共通体験を、繊細な作家たちが言葉にまとめたものだろう。夏目漱石をはじめとして私が好きだった近代作家は、一様に近代をただ賛美したのではなく、近代に圧迫されていく封建時代の自分の痛みや矛盾に直面し、それでも、近代という新しい時代の方法論に希望を持った人たちである。それは、おそらく、その時代の多くの大衆の心性に共通する感慨だったのではないか。

 やがて昭和になり、世界戦争に突入して日本は歴史的にも初めて「負ける」ことになる。それまでの価値観を全て奪われ、新しい民主主義の社会がやってくる。戦後文学は、明治の文豪と同じように、戦争という国民全員の共通体験の中での個別体験や感情をまとめるように小説や詩歌を出版した。
大岡昇平、武田泰淳、椎名麟三そして石原吉郎。私は父親の戦争体験と同じものを戦後作家の言葉で体験した。マルクス、ニーチェ、ドストエフスキー、キリストからドラッガーまで、世界のあらゆる価値観が近代日本に急速に流入してきたという時代背景もある。精神的混乱の中で、独自の作品が生まれた。

 出版が「時代の共通体験の言語化」であるとしたら、現在のインターネットも、私たちの出版文化の延長線にあるのかも知れない。ここでは、リアルタイムに時代の経験や傷痕が現れてくる。

2.インターネットと出版

 ちょっと変な書き出しになったが、土井英司くんが新刊「人生の勝率の高め方」(KADOKAWA)を刊行した。低迷していると言われている出版業界において、常に話題の書籍の背後にいる出版プロデューサーである。

 インターネットが登場して、出版業界は大きな損害を被った。しかし、その大半は、雑誌部門である。音楽雑誌の例でいうと、インターネットが登場して、ミュージシャンの写真や発言が、直接、一般の人に届くようになった。わざわざフォトエージェンシーや外国の音楽雑誌と提携しなくても、さまざまなアーティスト写真が手に入るようになった。アーティスト本人が公開する写真もある。新譜情報もイベント情報も、ネットで直接手に入るようになった。雑誌の大きな価値が失われた。あわせて、音楽も直接ダウンロードするようになり、CDなどのパッケージ販売が後退し、レコード会社が広告を出せなくなった。販売と広告の両面から音楽雑誌は利益構造を奪われ、多くの音楽雑誌が廃刊になった。ロッキング・オンは、「フェス」という別の突破口を見つけたが、これも永遠というわけではないだろう。

 インターネットそのものが巨大な雑誌なのだろう。どこから読んでもよいし、編集方針が違ったり偏向したりしていても、読者の選択によって自由に頁が出現する。

 70年代にスタートした「ぴあ」という情報誌は、インターネットが登場する以前に、インターネットの時代を予感して、先取りしたような雑誌だった。映画や演劇などの出かける時は、この雑誌で情報を収集した。しかし、先取りであったがゆえに、本物のインターネット状況が登場すると、存在の意味がなくなり、廃刊になった。

 インターネット初期には、コンピュータを学ぶ者が多く、コンピュータの入門書やアプリの指南書みたいな本が多く売れた。しかし、それらマニュアル本は、ネットの中に反映されてくると、書籍を購入する意味がなくなった。

3.ビジネス書籍の世界

 うーん、土井くんの本の書評を書こうと思ったのだが、どうも遠回り遠回りになってしまう(笑)。でも、この辺を説明しておかないと、話が進められない。

 「書籍が時代の共通体験を個人が凝縮したもの」であるならば、現代社会において「時代の共通体験」とは、ビジネスのことだろう。それは、大きくなくともベンチャーでなくても、生きるために稼ぐことをビジネスとするならば、国民全員が共通に抱えているテーマである。「時代の共通体験」をテーマにし、人々の琴線に触れる作品が喝采を浴びる。

 土井くんは、かつて、Amazonでバイヤーをやったり、お勧めの本をプロモーションしたりしていた。その頃に出会い、彼がエリエス・ブックコンサルティングを起業した時にも、創業パーティで挨拶させてもらったことがある。彼は、インターネットの立ち上がりの頃から本の現場にいて、出版業界全体を見回していた。そして、インターネットの普及とともに、ビジネス本の市場が拡大したのは、彼の功績が大きいと思う。修行僧のように毎日、メルマガでオススメの本の書評を書き続けてきた。膨大な本を読み、選択をしてきた。その経験が、この本に凝縮されている。

 彼が読んできた万巻の書を読まなくても、この本を読めば、その大事なエッセンスを汲み取ることが出来る。彼は「僕が書評を書いたからベストセラーになったのではなく、ベストセラーになる本を選んで書評している」と言っているが、選択の力だけではなく、凝縮したものを抽出する能力があるのだと思う。

 ビジネス本にも二種類あると思う。一つは「初心者向けパソコン入門」や「誰でも使えるエクセル攻略本」みたいな「儲け方」や「管理の仕方」などのハウツー本としてのビジネス本である。もうひとつは、時代の共通体験の中で経営者や担当者が知り得た極意のようなノウハウ本である。

 極意は、そっくりそのまま模倣しても、意味がない。極意を受け取った人が、その言葉を軸に、自分のノウハウを再構成しなければならない。極意は経験とともにあるわけだから、経験のないものには極意も砂上の楼閣である。土井くんの極意は「選択」である。住む場所を、入社する会社を、自分のテーマを、自分の目標を選択し続けることが、人の人生を豊かにする。そして、同時に「自分のルーツを大切にする」ことを指摘する。自分が何処から来たのかを忘れてしまっては、自分が何処に行くのかも見失ってしまう。土井くんの「成功を未来に置く」という言葉は、現実を疾走し続ける者しか語れない言葉だと思う。
 
 私らの世代だと、出版業界には「講談社の内田勝、平凡出版(マガジンハウス)の木滑良久」さんの二人が憧れの編集者のスターだったが、現代においては、土井くんのような人が、業界を目指す人の憧れになるのだろう。出版業界においても、ただベストセラーを生み出すだけではなく、ベストセラーの構造の変革を模索する編集者が注目されるだろう。

 出版業界は、親方日の丸の秩序の中での成功ではなく、新しい時代に向けて突入していく若い人たちの発想とエネルギーがますます重要になってくる。出版の未来は、時代の未来に対応して、変化していくものであろう。

人生の勝率の高め方/土井英司・著/KADOKAWA

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