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追悼・高山英男さん

 僕はたくさんの人と出会う人生だったから、その分、たくさんの人と別れた。一人ひとりとの関係があり、質の違う悲しみがある。高山さんの訃報を富岡さんからの電話で知り、初めての感覚にとらわれた。「感謝」の言葉しかない。

 6月に亡くなったのだが、公表はこれからのようだ。だけど、もう書いてもいいだろう。書かなくてはたまらない。近藤純夫さんが亡くなったのが6月6日だから、一緒に行ってしまったのですね。本当に「子ども調査研究所」がなくなってしまった。

 高山さんは、僕を最初に見つけてくれた人である。あれは1969年ぐらいであったか、読書人という書評新聞に、当時、僕が熱中して追いかけていたマンガ家の真崎・守と宮谷一彦の批判的なマンガ評が掲載され、愛するものをけがされた怒りから、激烈な反論文を書いて、読者欄に投稿した。その原稿を読んで、高山さんが面白がってくれて、読書人の編集部に電話をして、僕の連絡先を聞いて、連絡をくれた。

高山「君の文章、面白かったですよ。子ども調査研究所というのをやってるのですが、一度、遊びにきませんか」
橘川「飲ましてくれるなら、行きますよ」

 これが最初の会話だった。子ども調査研究所は、神宮前にあり、当時、僕は広尾の国学院大学に通っていたので、わりとすぐに研究所に行ったと思う。研究所には、高山さんはじめ、斎藤次郎さん、近藤純夫さん、富岡千恵子さんら、それぞれ雰囲気のある人たちがいて、会社だし、忙しそうにしているのだが、なんだか、ゆったりとした空気が流れていた。僕は、この場所で、メディアの人生をスタートしたのだ。

マーケティングの復興を
2010年6月 1日 08:24

追悼・近藤純夫さん


 1970年前後、日本のキャンパスは、荒れていた。半世紀たった2019年、香港が荒れている。学生たちの抗議の対象は違うけど、共通して感じるのは「それまで自分たちがもっていた自由を奪われる」という危機意識である。50年前、僕らは自由を奪われたのだろう。曖昧な社会から管理されたシステム社会へ移っていった。若い人たちは、その中で別の自由を獲得したのかも知れないが、僕らは失った意識がある。それはアナログな世界からデジタルな世界へ移行するための陣痛だったのかも知れない。僕らは失ったかも知れないが、失ったものを、もういちどデジタルの中で復興してみせる。高山さんと、そういう話をしたことがある。高山さんは「端境期の文化」という言葉をよく使った。古いものが壊れ、新しいものが生まれる時、その間にこそ文化が生まれるということだ。

 1970年から現在まで、僕は、何か思いついたり実行したりすると、子ども調査研究所の高山さんのところに行き、わくわくして報告した。高山さんは、いつも笑顔で受け止めてくれた。子ども調査研究所が終了したあとも、麻布十番の喫茶店コロラドで、話を聞いてもらった。羨ましいだろう、僕には、そういう大人の人と付き合える関係があったのだ。高山さんの前では、いつでも20歳の自分になれる、そういう大人が僕にはいたんだ。高山英男は僕のメディア社会の父である。だけど、もういない。

 僕がはじめての単行本「企画書」を出した時に、明治神宮のレストランで出版パーティをやった。1981年だ。メディア関係の来客が多く、高山さんの祝辞は今でも覚えている。言葉の全部は覚えていないが、「橘川くんは面白いことをたくさん考える人ですが、大人の人たちは、それを利用しすぎないでください」というようなことだった。社会性のない僕が企業の人たちに振り回されてしまうことを心配した親心だろう。その時、31歳だったが、20代はロッキング・オンやポンプという自分のやりたいことだけをやってきたので、社会性のない子どものままだったのである。

 実際、子ども調査研究所は、ビジネスにえげつない企業や代理店との付き合いの中で商品開発をする仕事だったので、本当は、僕の感性に近い高山さんも、相当、苦労してきたのだと思う。戦後の代表的な子ども商品の大半の新商品開発に、高山さんたちは関わっていた。リカちゃん人形も、人生ゲームも、チョロQも、大半の玩具メーカーは子ども調査研究所と一緒に商品開発をした。グリコでは30年以上も、毎月大阪のグリコ本社で子どもや若者の最新情報を学ぶ勉強会を行っていた。グリコのおまけは、ほとんどこの会議から生まれたのだと思う。高度成長の頃、メーカーが民間の調査会社と一緒に新しい市場や商品を開発していた、ものづくりの幸福な時代があったのだ。

 僕は単行本の「企画書」を出すことによって、今までとは違う広い世界での友人たちと多く出会ったが、この本の僕の誇りは、推薦文を書いてくれた人が「林雄二郎、高山英男、渋谷陽一」の三人だということだ。僕の人生の3つの極である。最初の本、つまり社会的には無名の僕を、三人が推薦してくれた。

 高山英男さんには「ありがとうございました」という言葉しかない。何度も何度も、ありがとうございましたと繰り返したい。

▼参考・1971年の子ども調査研究所。真崎さんと向かい合っているのは、学生の橘川。右隣が高山さん。

座談会「まんがいのちかしょっぱいか」 真崎守とその他一同
◇まんがコミュニケーション/子ども調査研究所
◇1971年5月1日発行
◇定価100円


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