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追悼・大西祥一

 あまり行ったことのない葛飾の方に行った。葛飾柴又の方だ。まさに寅さんのような男が亡くなった。私が写植屋をやっていた70年代半ばの年末に写植を頼みに来て、お正月明けに納品してくれ、と無茶な注文してきた男だ。写植を取りに来たが、そのまま宴会になり、麻雀大会になり、友だちになった。

 彼は、宝島で始まったばかりの別冊宝島の担当者だった。話してるうちに、普通の働いている人にインタビューして作る本の提案したら、企画が通った。80年代にWorkingのような仕事インタビュー集が出たが、こちらは70年代半ばだ。99人の仕事インタビューで作った「別冊宝島11のみんなのライフワークカタログ」だ。私は、生まれてはじめて、50人にインタビューをした。四谷の屋台のラーメン屋の親父もいれば、フジテレビの新人の女子アナもいる。残りの原稿は、宝島の担当編集者だった渡辺さんがまとめた。

 それを出すことで、蓮見清一社長と知り合い、更に、ロッキングオンから、ロックの縛りを外した全面投稿雑誌の企画を出したら採用された。私は、宝島の関係会社の社員になる。ロッキングオンのメインスタッフ、写植屋の社長、サラリーマンと27歳にしてマルチ人間となった。

 彼は、ポンプの実務面を全面的に引き受けてくれた。資金計画、人材関係から、印刷関係、取次関係など。私は、内容と編集だけに没頭出来た。彼は企画の時に、膨大な項目のチェックリストを作ってきた。二人で、そのチェックリストを一つずつ潰した。

 宝島はまだ、本体の自治体向けプロダクションのJICC出版局が中心で、一般向けの出版は赤字部門であった。ビジネスに厳しい蓮見さんの厳しいチェックは彼がすべて引き受けてくれた。

 ポンプは幸い、僕が編集長の時代は一度も赤字にならなかった。なにしろ投稿雑誌なので、原稿料が不要なのだ。創刊0号は、宣伝も兼ねて8万部作ってばらまいた。反応もよく、創刊号からは部数も適正にしたが、大儲けにはならなかったが確実なビジネスモデルになった。

 私の最初の単行本は「企画書」(JICC出版局)だったが、その本を出そうと言ってくれたのも彼だった。編集・校正も彼が全部やってくれた。

 ポンプが3年たって、自分も30歳になったこともあり、全部、自分の生き方をリセットしてゼロから再起動したくなった。唐突の思い、唐突に実行した。ロッキング・オンで引退声明を出し、写植機を「おりじ」の宮脇和と、元ピヴイレヌの水野誠にあげてしまい写植屋廃業。そしてポンプも副編集長の青木くんに渡して辞めたいと彼に相談した。感情を表に出す男ではなかったが困惑していた。蓮見さんは激怒した。蓮見さんは身内を大事にする人なので、彼の下を離れるというのは裏切ることである。蓮見さんの怒りは私のところではなく彼に集中した。いろいろと彼を通して圧力が来た。

 私が退社したあとも、蓮見さんは彼に「橘川は許さん」と怒っていたと聞いた。先日、蓮見さんが亡くなって、僕が追悼文を書くと、彼からメールが来た。「蓮見さんと橘川があんなに個別の関係を作っていたとは知らなかった。蓮見さんは橘川のことを愛していたから、あんなに怒ったんだな。ようやく分かったよ」と。

 彼は宝島の社員番号6番。生え抜きの男である。両国高校から一橋大学と、地元の葛飾では優秀なエリート少年だったのだと思う。大学は学生運動の時代で、私と同じ年齢なので、思考も体験も読んできた本やマンガも同じ匂いがする。JICCが出来た時に、一橋出身のメンバーが母校に人材スカウトに行った時に、暇そうにブラブラしていた彼に声をかけて、そのまま社員になったと蓮見さんから聞いたことがある。

 彼は、編集は超ベテランで頭脳明晰なんだが、ときどき、なんかとんでもないミスをする。おっちょこちょいで失敗も多いが、なぜか憎めないところがあるのも、寅さん体質である。いつも蓮見さんに怒られっぱなしだったが、おそらく蓮見さんは彼が大好きだったのだと思う。本人もそのようなことを言っていた。

 40数年を勤め上げて定年になり、フリーになったあとも、ますます寅さんのようにあちこち動き回っていた。昨年、入院したと彼の紹介で出会った山下卓に聞いて、見舞いに行こうと思ったが面会はきついという。LINEがつながっていたので、時々やりとりしてた。『イコール』を出すと言ったら、今は紙の雑誌は無理だからやめた方がよい、雑誌を起動にのせるのがどれだけ大変か、分かってないのか、と怒りのような忠告が来た。台割や発行計画も送って、まるでポンプの創刊の時のように相談した。

『イコール』の0号が出来たので自宅に送り、奥さんに病院まで届けてもらった。そしたら、「良い出来だ」と返事が来た。私は、LINEが出来るんだから書評でも書いてくれと頼んだ。

 そうしたやりとりももう出来なくなった。3月1日、彼は不帰の人となった。
昨日、山下と自宅を訪問して最後のお別れをしてきた。笑みのような表情さえ感じられる穏やかで静かな顔をしていた。さようなら、同世代の親友。これからも、お前と相談して、二人で作った「ポンプ」を完成させてみせるよ。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌。


病床の大西とのやりとり

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