見出し画像

私的インターネット活用術・序説

 インターネットは巨大なインフラシステムだから、そこでの表現は、インターネット以前のように、ただ思ったことを書いて、既存の表現流通のシステムにのっかればそれでよしというわけにはいかない、と一番最初に思った。システムの上で表現する限り、こちらもシステム思考で対応しなければならないはずだと、何故か思った。

 それは、1980年代の半ば、パソコン通信がはじまった頃だ。1988年に、草の根BBSの「Wenet」に参加した時に、最初に企画してスタートしたのが「メタ日記」というシステム。これは、一つの会議室に、参加者全員が、日常、思ったことを短い文章で書き込むというものだ。今でいうTwitterですね。

 それぞれが自分の日記名をつけて、ヘビーユーザーは20名ほど、延べで200人ほどが、参加した。1990年に、自前のパソコン通信「CB-NET」を開始して、学芸大学の事務所にホストを設置した時に、メインになったのが、このメタ日記である。その時のエンジニアは、亀山くんで、彼は、最初の「MOTHER」のプログラムを組んだ男である。

メタ日記での、僕の日記は「白日日記」である。
1990年の最初の部分をご覧ください。

---------------------------------------------------------------------
白日日記90
---------------------------------------------------------------------

900120
ポスト・イット以後は、ポスト・ポストイット。

900216
組織が好きな奴と組織について語ることが好きな奴とがいることに気がつかされた。ああ、なるほどね、いいよ、なかなか、会うと、異質性がますます際立つという関係は。

900222
病気の80%は「よく眠れば治る」ということである。この言葉は味わい深い。

900228
笑いとは、「攻撃」であるが、特に日本人の場合は「追撃」であるというようなことを柳田国男は言っていたらしい。 よおし、そのへんから行くぜ。

900320
世界はあなたの考えているほどヤワではないと考えているあなたはヤワではない。やわらかなあさのひざしにことばうしなう。

900320
友だちの友だちは、赤の他人に決まってるんじゃんかよぉっ? 1対1の人間関係をなめるな。

900507
美しいものは単純であり、単純であるものは美しい。それは、本来的なものは単純なものであるからだ。 私たちはすでに発見する時代にはいない。思い出す時代。再会する時代

900925
楽しいことが7つあったら悲しいことが3つある、というのは幸福な部類の人生であろう。楽しいひとが10ないといやだ、と言ってるような渋谷の街にも悲しい場所が3つくらいはある。

900925
日本人は、公衆電話でも大声でプライベートなことを話している、というのは欧米人は驚くのだそうだ。アジア的なんだと。日本型ネットワークというのも、もしかしたら、アジア的喧騒の現れなのかも知れない。

900925
子どもの頃は毎日が発見だった。それは、自分の肉体が成長しているわけだからそれにつれて見える世界も変化してくるから肉体が衰えてくると、発見の逆のことが見えてくるのだろうか。ふふふふ。

901014
「いい風ですねぇー」という品のよさそうなおばあちやんの声が通りすがりに聞こえてきた。「風」のように目に見えないものに価値を見つけたのが私たちの文化だ。風の姿を花に伝える。風の姿を花が伝える、ではない。ああ、いい風の吹く都市計画を望む。

901224
おもしろい奴は生意気だ。 そう、 でも、なんでそうなんだろうか?

901226
嘘は泥棒の始まり。泥棒は金持ちの始まり。金持ちは再び嘘の始まり。

901230
海が好きなのは漁師ではない。町が好きなのは都会人ではない。何かを好きになるものが、何かを壊してきた。東京の方法。西武の方法。

910221
イメージの温もりはあるのだけど具体的な像にならない、昨晩みた夢、というのがある。誰かに話して、うけたんだけど、それがどんなものであったのか思い出せない駄洒落のようなものである(笑)
-------------------------------------------------------

 この活動は、1993年に「創業夢宿―Remix」 (たま出版)という、山手国広さんの本に「トキドキ合唱団」という名前でまとめた。トキドキ合唱団というのは、僕の学生時代の愛読書にあった「我トキドキ思う、故に我トキドキ在り」からとっている。

 Twitterがはじまった時に、当時の仲間が「ようやく橘川さんのやりたいことが分かった」と言ってくれたのは、嬉しかった。

 パソコン通信の時代は1994年ぐらいまで続き、ある日、突然、閉鎖して、ニフティでFMEDIAを立ち上げる。ここでは、まだ無名の、深水英一郎や田口ランディ他10人ぐらいをサブシスにして、それぞれ活動を開始した。

 そしてインターネットが大きく登場する。相棒の亀田くんが、地域プロバイダー協会を作り、それが発展して日本インターネットプロバイダー協会が立ち上がり、亀田くんが事務局長になる。95年から00年までは、日本のインターネットの土方時代で、そこでもさまざまな人たちと出会う。

 00年からは、インターネットのコンテンツが本格的に広がりだした時代だ。僕は、01年ぐらいから、「ピリオ」という毎日配信のメールマガジンを発行し、それは、一時中断を経て現在も行っている。内容は、「メタ日記」と同じく、短い文章だ。

▼ピリオ

 2008年からは、「メタ日記」を「深呼吸する言葉」という名前に変えて、自分にとっては、本格的な表現活動に入った。当初は「はてな」を使っていたが、現在は「note」で継続している。

 また、70年代の「ポンプ」でやっていた「一週間の日記」を自分でやってみることにし、
数年続けた。

▼一週間の日記

 今年になってからは「我が家の食卓」を毎日、アップしている。

▼我が家の食卓

 インターネットは、誰もが自由に何時でも表現出来る場所だ。こんなシステムは、これまでの世の中にはなかった。だから、それは、海に小石を投げ込む行為だけではなく、表現する側が、それの後処理まで意識する必要があるというのが、僕の最初の直感だ。それが残すに値するものかどうかの問題ではない。自らが、表現したものの後始末をする意識を持たない限り、混沌だけが残る。Googleがなんとかしてくれるだろうというのは、出版社がなんとかしてくれるだろうという時代の意識だ。

 僕は、自分の表現をアーカイブにすることを前提としたテストを行ってきた。ネットは自由だからこそ、自らのフレームを形成し、持続的に表現していく必要があるのだと思った。

 僕の学生時代に好きだったフレーズ。「僕は羽のようにではなく、鳥のように翔びたい」。その言葉は、システムや流行に流されるのではなく、自分の意志と肉体で行動し、生活すべきだということを教えてくれた。



橘川幸夫の無料・毎日配信メルマガやってます。https://note.com/metakit/n/n2678a57161c4