さよなら、銀座ソニービル

「銀座ソニーパークプロジェクト」始動

 銀座のソニービルがリニュアルする。道路側に小さなイベントスペースを作って、賑わいを演出していたが、その企画を盛田昭夫さんに提案して、実施したのは、小谷正一さんである。小谷さんは、井上靖の「闘牛」のモデルになったこともある、戦後日本の、新聞・ラジオ・テレビ・イベントなどのプロトタイプを作った人である。ソニービルのリニュアルは、今の社長では、期待が持てないな。

 僕が70年代に「ポンプ」という投稿雑誌を作っていた時に、小谷さんから呼ばれて、当時はTBSの前にあった小谷さんの事務所であるデスクKに行ったことがある。「ポンプのような投稿だけで出来ている雑誌がないか、世界を調べさせたけど、アメリカに高校生の投稿だけで作られた雑誌があったが、少し政治的なので、本当の投稿雑誌は、君のところだけだった」と言われた。「これからは、普通の人がメディアに登場してくる時代が来る。頑張れ」と、なぜか知らない人に言われて、嬉しかった。それ以来、よく赤坂に行っては、ごちそうになりながら、メディア業界の話をいろいろ聞かせてもらった。当時は週刊新潮の「あした、発売でーす」というCMをデスクKで作っていたので、週刊新潮のポスターが事務所によくはってあった。日本の週刊誌の起ち上げについても、小谷さんがいろいろ協力したみたいだ。小谷さんは、大宅壮一さんのマスコミ塾の番頭さんでもあり、僕の80年代の最大の同志であった、瞑想家の山手國弘さんとも、戦後初期からの仲間であった。

 銀座のソニービルは、旧電通通りにあり、築地に行く前の電通ビルがあり、その後、電通総研になったりしたビルの近くであり、小谷さんは、電通の吉田秀雄さんに無理矢理、電通に入れられて電通PRをやっていた関係で、ソニーのイベントスペースになったのではないかと推測する。電通の地元だったからね。

 銀座は老舗の町である同時にソニーやリコーといった高度成長時の気鋭の企業家たちのショールームでもあったのだ。

 リコーの創業者は、市村清さんで、波乱万丈の経営を行い、空港専用の石油会社や、リコーのカメラ、リコーのコピーなど、現在のリコーグループの基盤を作った人だ。彼の戦後やったことをいろいろ調べてみると、ものすごいアイデアマンでありネットワーカーであったことが分かる。残念ながら面識はないが、銀座四丁目のサンアイビルのオープニングパーティの案内状には、開始が夜中の11時とあったそうだ。夜通し、銀座のビルで、当時の気鋭の経営者、文化人、ジャーナリストが集まったのだと思う。ああ、参加したかった。

 今の銀座は、中国資本の不動産爆買のターゲットになっているようだ。あちこちの古いビルがリニュアルされていくが、表向きは小奇麗にスタイリッシュになっていくが、小谷さんや市村さんが時代とダンスしていたような、わくわくするようなリズムは聞こえてこない。文壇バーもなくなったし。そういえば、昔は、宣伝会議も、ナイルの隣のこ汚いビルの中にあって、コピーライター養成講座も、松屋の裏の方の貸し会議室でやっていた。僕は講師やっていのだが、先日、当時の受講生だった子がfacebookで連絡してきた。嬉しいね。最近は、もう銀座に行く用はなくなった。

 今日は、じじくさいな。じじいだけど(笑)戦後高度成長の時代を経済と文化と人間の視点で、もう一度、見直したいと思う。そこからやりなおさないと、現状の諸問題は、いくらいじくっても、突破出来ない。ポイントは、やはり人間だろう。


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橘川幸夫

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橘川幸夫

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