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ニュース0203●栗原心愛(みあ)さん(10歳)が殺された


1.心愛ちゃんの恐怖

「怖いよー」「助けてー」届かなかった心愛さんのSOS

 千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)さん(10歳)が父親に殺された。学校のアンケートで「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」と懸命のヘルプを出していたのに、父親の暴力を防げなかった。多くの人が父親の恫喝に負けて、アンケートを父親に渡した教育委員会の態度に怒りを爆発させている。

 僕も、この事件をはじめて聞いた時に、「学校は何やってるんだ」と怒りの気持ちが爆発した。ただ少し冷静になってみると、自分の娘に日常的に暴力を振るい殺してしまうほどの男に、普通の公務員が平然と対応出来るものなのか、と思ってみた。

 日本の教育環境は、制度や仕組みで教育環境を整備してきたが、「リアルな暴力的態度」に対しては、無力なのではないか。このような極端な人格ではないにしろ、学校の現場が理不尽な保護者の大人たちのクレーム対応で疲弊していると、以前からよく聞いた。野田市の教育委員は、元校長先生だっという話もある。校長経験者でも、眼前の強力な「暴」の前では、虐待を受けていた10歳の子どもと同じように、嵐がおさまるのを震えながら耐えるしかなかったのではないか。

 学校環境は、本来、先生が生徒を指導・教育する場であり、叱ってよいのは先生だけであったし、それだけの権威があった。だから「叱られたり、威圧されたり、理不尽なことを要求されたり」という状況への対応には不慣れなのだと思う。更に、学校の先生の社会的権威が薄くなり、無防備なまま「暴」と対応しなければならない。

 学校は10年くらい前から、あちこちに監視カメラを配置し、土日は完全に部外者を入れないようにセキュリティを強化している。昔は、放課後は、学校の校庭で遊んだものだが、そういうことは許されない環境なのだろう。外部の不審者に対しては、強固に防衛したが、保護者の内的暴力に対しては、無力である。いっそ、警察の暴力団担当で定年した人を学校に派遣して対応させた方がよいのではないか、と思うほど、学校は暴力的威圧に無力である。今回も「告訴する」と言われて恫喝に屈したのだが、公務員にとって市民から告訴されることは、一番避けたい状況であろう。

 野田市へ抗議の声をあげている人たちは、おそらく、健全で普通の家庭生活を過ごしてきたのだろう。僕もそうである。だから、自分の子どもを暴力で虐待するという状況が理解出来ないと思う。しかし、それでも、私たちの社会には、まだ根絶出来ていない「暴力」が存在するのである。このことを考えていかなければ、心愛ちゃんの悲劇は続くだろうし、現実に、今も、日本の各地で、子どもたちの悲鳴があがっているのかも知れない。

2.社会進化と「暴」について

 東京は進化している。社会システムから無駄を省き、効率化をもとめ、自動化されてきた。安全で安心な社会が実現しようとしている。本当にそうか。

 駅の改札口は、昔は、駅員さんが乗客ひとりひとりから切符を受け取り、ハサミで切り込みをいれて入場させていた。本格的に自動改札がはじまったのは、1990年からだから、まだ30年経っていないが、その頃の記憶はすでに曖昧になっている。駅員がハサミをカチャカチャ鳴らしていたり、ガンマンみたいにくるっと回したりする人もいて、なかなか職人技であった。ハサミの切り込みは、駅によって違うので、どこから乗ったか分かるようになっている。キセル乗車の発見も駅員の仕事だった。

 それが自動改札になり、Suicaの登場で、駅で切符を買う必要もなくなった。駅員の人件費は大幅に削減されただろう。しかし、運賃の値下げにはならなかった。

 あれは自動改札が登場してしばらくして渋谷駅で目撃したことだ。混雑する自動販売機のゲートを通ろうとすると、若い白人の10人ほどのグループが、自動改札を通らずに、ジャンプして次々と改札を突破していったのである。それは躍動感があり、障害物競争のハードルを越えるようで美しかった。

 駅舎には駅員はいるけど、ゲートのところは無人なので、白人たちは全速で町中の雑踏に消えていった。その時に僕は「ああ、システムがいくら完備しても、肉体の暴力には無力なのだ」と思った。今は監視カメラがあるから、犯人を追跡逮捕することは出来るかも知れない。しかし、逮捕を恐れずにいる者たちをとめることは出来ない。まして、監視カメラの届かない「家庭」内の暴力に対しては、無力である。

 ITやAIが進化して、すべての問題を解決するような幻想が蔓延している。しかし、人間の内部の闇は、そうした社会の健全化は反比例して、より深まっているような気がする。駅員も理不尽な乗客からのクレームで苦しんでいる。病院でも、よく看護婦さんに暴言を浴びせている人を見かける。パワハラは、ブラック企業の内部だけの問題ではなく、社会全体に広がっているのではないか。

 「PSYCHO-PASS サイコパス」(虚淵玄・うろぶちげん)は、未来の警察を描いたアニメで、警察官の持つ銃を人に向けると、犯罪係数(その人間がどのくらい犯罪しそうかを計測)が出て、限界を突破すると銃で殺される。中国で現実化している、個人情報管理の行き着く先の世界だろう。

 しかし、そういう社会システムが完成しても、心の中の「暴力衝動」は、なくならないのではないか。戦争というものは、完成した社会システムが、他の社会システムを暴力的に破壊する行為なのかも知れない。

3.東京という暴力都市

 僕は新宿に生まれたので、新宿の変化をよく知っている。前の東京オリンピック前までは、戦後の闇市の元締めたちの組が拡大して勢力争いをしていた。歌舞伎町の角々にはチンピラが立っていて、角を曲がると、別の地点にいるチンピラの視界に入るという具合で、監視カメラのようにエリアを監視していて、酔っぱらいなどの揉め事があると、チンピラがすっ飛んで来て仲裁というか、介入していた。東京オリンピックで、そうした風景は表からは消えたが、ヤクザの勢力は、新宿繁華街の発展とともに拡大した。

 80年代のバブル以後に暴対法が厳しくなり、戦後型のヤクザ組織は表に出にくくなった。代わりに登場したのが、関東連合などの半グレの輩たちであろう。任侠のヤクザ組織は、暴力的であるが、組織の管理と礼儀が出来ていて、若い無法者を組織が吸収して管理していた。しかし、暴対法の締め付けで、そうした若者たちを組織が吸収出来ずに、そのまま街に放たれ、群れていたのが半グレであり、さまざまな暴力事件を起こした。

 そして、もしかしたら、そうした半グレでもない、無法者の素質がある人間が、普通の顔で生活しながら、家庭の中にも入りこんでいるのかも知れない。

 栗原心愛(みあ)ちゃんのことを知り、すぐに昨年の目黒で殺された、船戸結愛(ゆあ)ちゃんのことを思い出した。愛の字をもらった二人の少女である。

「もうおねがいゆるして…」目黒5歳虐待死はなぜ防げなかったのか

 心愛ちゃんは沖縄から、結愛ちゃんは香川から転校してきた。沖縄でも香川でも、虐待は起きていた。地元の行政に相談したが、曖昧なまま、首都圏に引っ越して、情報が引き継がれないまま悲劇が起きた。おそらく、地元では、親戚や近所の人が異変に気づき、行政に相談していたのだと思う。死に至るまでの虐待は、首都圏(東京)という街の、他者に対する無関心の空気が影響したのではないか。

 渋谷の街は、超高層ビルが立ち並び、未来志向のハイテク空間になろうとしている。清潔で管理された風景の中で、今日も、会社や家庭の中で、残忍な暴力が存在していることに、気が付かなければならないだろう。町中での暴力は見えなくなったが、暴力で他者を屈服させようという意識は、なくなってはいないのだ。

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