さよなら星ケンイチ

和歌山熊野の旅先で、西哲から、栄美通信の星さんが、昨年、亡くなったことを聞いた。星さんは、僕がポンプの編集長をやっている時に編集部に現れ、いつのまにか友人になっていた。絵に描いたような、70年代80年代の広告代理店のコピーライター&プランナーであった。調子がよくて、いつも可愛い女の子を連れて、大酒飲みだが全て会社の経費で落として、泣いたり笑ったりして、破滅型のアナーキーなサラリーマンだった。
カメラはこれからは鉛筆みたくなって、みんなスケッチ描くようにシャッター切るよ、と星さんに話したら、すぐに企画書を書いてミノルタに提案して、カメラは鉛筆だ展を、日本各地のデパートの催事場でやった。通称カメエン。ここには、各地のポンプ読者が集まり、星さんの独特なキャラクターのファンが増えた。
僕の家にも泊まりに来て酔っ払って、でも、夜中に、明日まで企画書書かないと、と言って仕事しだした。その企画書は、すごいものだった。企画書というより、ラブレターみたいな、僕は御社と仕事がしたいんです! と最初の一頁に大きく書かれていた。鼻汁と涙で滲んでいた。
星さんは、言葉の天才であった。当時の宝島に紹介して、常磐線物語を連載した。常磐線を使って通勤するサラリーマンの日常で発見した、小さな悲哀を書いたものだ。
僕がポンプを辞めたあとも、銀座に行くと星さんの会社に行ったり、近所の喫茶店で、アホな話をしていた。
90年になって、まだインターネットがなかった頃、僕は有線放送のCANの1回線をもらい、30分、誰でもDJになれるという、おしゃべり放送局と言うのをやっていた。星さんも毎週番組を持った。それは、毎回、クライアントの会社の受付嬢を連れてきて、その子に、フランス文庫を朗読してもらい、時々、星さんが解説すると言うすさまじいものであった^_^
SMのシーンなどで、星さんが「おまえ、この時の男の切ない気持ちが分かるか!」とか、泣いてるように絶叫する。今ならYouTuberとしてやったら受けるかもしれない。
星さんはサラリーマンを定年になると、まるで、人生終えたように、東京で遊ぶこともなくなり、地元で地域活動に励んだり太極拳を学んだり、普通のいい生活者になっていた。彼は、ダメなサラリーマンの生き方が彼自身のアイデンティティだったのだろう。会社から切り離されたら、まるで死んだようになっていた。暇だから、もっと僕と遊べば良いのに、会社員星ケンイチ以外のアイデンティティを持てなかったように見えた。むしろ、それ以外の自分を探していたのかも知れない。地域の中で生きる星さんは、破滅型で給料以上に会社の経費を使いまくるシロクマ広告社員みたいなはちゃめちゃな人間ではなく、むしろ良識的な普通人だった。
ある時、「橘川さん、僕は広告代理店のサラリーマンではないですか。これって、会社員だと思ってたんですが、違うんですね。僕は社員ではなく店員なんです、店員なんだ!」と新しい発見を喜んでいた。会社というものが大好きな人だった。ある意味、日本の成長期の会社員として、楽しく幸せな半生だったと思う。

さよなら星ケンイチ。星さんのいない日本はつまんないな。平成が終わろうとしている。星さんのことは、忘れずに、もう少し進んでみる。僕のアイデアや言葉にシンプルに反応してくれた星さんには感謝している。天国でもだらしなく酔っ払って天使たちをナンパしてくれ。生きるって切ないなあ。また会おう。

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