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ロッキングオンの時代。第四話 大学生・渋谷陽一

大学生・渋谷陽一

 渋谷陽一は、1972年4月に明治学院大学に入学した。2年間浪人していたことになる。ロッキングオンの創刊準備をしている時期なので、僕らは「これからやるぞ!」と意気込んでいたのに、わざわざ大学に入る渋谷の気持ちが分からなかったが、すぐに学校には行かなくなった。ロッキングオンの仕事で忙しいこともあったし、資金稼ぎのバイトなども忙しかった。だいたいが渋谷は勉強が嫌いであった。



 ある日、渋谷が大学のリポートを出さなければいけないのに出来なくて、困っていた。それで岩谷さんに代筆を頼んだ、何しろ、岩谷さんは博学の上にめちゃくちゃ筆の運びが速い。ロッキングオンに載せきれないぐらいの原稿をどんどん書いてもってくる。語学概論かなんかのリポートだったのだが、岩谷さんが書いたのは「英語とフランス語の違い」についてである。ものすごいテーマだが、そのリポートを渡す時に、岩谷さんが言った。「君の学力に合わせて書いたから」と。岩谷さんは、自惚れたり、威張ったり、嫌味を言ったりたりすることの一切ない人で、こういうことも、機械的に普通にしゃべる人だ。

 中身を見せてもらった。よくは覚えていないが、要するに、英語とフランス語では主語の扱い方が違う。英語は、孤立した一個人が主語だけど、フランス語は、もっと空間的な広がりを持つ主語である、というような言い回しであった。何か分からないが、凄いなぁ、と思った。とても渋谷の学力では書けない内容であることは分かった。渋谷は、大学にはほとんど行かずに、退学した。ロッキングオン創刊の時には、辞めるようなことを言っていたから、大学生の渋谷陽一というのは半年程度しかなかったのではないか。

 浪人時代の渋谷も、受験勉強に熱心だったわけではないだろう。レボリューションの関係やソウルイートなどのDJをやっていた関係で、音楽業界との付き合いが始まり、ライナーノーツや雑誌の原稿書きの仕事をしていた。結成されたばかりのブルースクリエーションの竹田和夫さんとは仲がよかったみたいで、渋谷が浪人の時に行った、ブルースクリエーションのミニライブみたいなところに行ったことがある。10代から自立して、勉強より働くことが好きだったようだ。

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▲画像のチケットは、日比谷野音で行われた100円コンサート。多分、女の子だと思うが手書きで作ったんだな。415は通しナンバーだろう。野音では頻繁にロックのライブが行われていた。内田裕也さんと、まだ学生だったはずの木村英輝さん(キーヤン)が運営していたことで知られるが、キーヤンに聞いた話では、アメリカのウッドストックに感動した成毛滋(故人)が日本でもやろうと言い出したそうだ。成毛さんは、何しろ、ブリジストン・タイヤの石橋正二郎の孫だから、お金はある。ちなみにブリジストンは、石橋(ストーン・ブリッジ)から来た名前。鳩山由紀夫は従兄弟になる。

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