えまと会った日 2

ー久遠千歳ー
たしかに、自分の中でのれいしろせの理想像を具現化すればこうなるかもしれないというビジュで、歌声もやはり間違いなかった。

自分は昔から、過去のものを見ると感傷的、つらくなることが多かったけど これはさらに格別だった。
unravelにはじまり数々の切り抜き、配信を見返していくうちに、もうあと2年早く知っていれば。。。という気持ちに苛まれ続けた。多分全部の関連動画をみた。辛かった。声を聴くだけで、いくら好きでもそれはもうアーカイブでしかない。
それがもしリアタイできていたとしても本人に気持ちは届かないと思う。でも、同じ時間を共有できないことが、 終わったコンテンツ を見ている という思考をより一層強めた。
過去の久遠千歳に対するにじメンのリプ、世間の評価、動画も全部調べたし、その内容によっていちいち感情は揺れ動いた。
その時の熱は強すぎて、今思えば一線引くかもしれない。当時の自分は、受験生だということを忘れる程に没頭していた。できる限り全てを知りたかった。そしてついには、1人でこの感情を抱えきれないほどまでその気持ちは大きくなっていた。

あるアーティストがおすすめに流れた。
第一声で気づいた。嬉しかった、ほんとに。
あんな歌声がこの世に埋もれていい訳がない、そう思っていた自分にとっては、ほんとに嬉しかった。

何曲か視聴した。

………

俺はれいしろせの、歌ってみた が聴きたかった、?

多少違和感は感じつつも、やはり彼女の持つ神の声を崩さない流石のMisumiさんの音楽。

1番最初にハマったのは、CULT 。原点にして頂点
刺さる歌詞、お気に入りの歌詞が多すぎた。

だれか僕に幸福と、少しだけの陶酔を

まさにその時の心情であり、それはれいしろせという人間に対して抱いていた限界感情に対する思いにもシンパシーを感じていた(勝手に)。

…..でもやっぱり同時並行で聴いていたヲズワルド とても素敵な6月でした アンノウン・マザーグースには及ぶはずもなく(主観&その時の一時的な感情)
嬉しいような悲しいような気持ちで、いったんそのアーティストにはそこまで沼ることもなく、ぼちぼち聴いて行くことにした。

れいしろせの、他の動画(ニコニコ)に手を出してみることにした。
だいぶかかったが、一通り全部聴いた。

伝説だった。本当に。今でもそう思っている。
全曲についてそれぞれ1日中語れるほどには好きだった。メモにひたすら好きなところを自己満でメモしては訂正、編集を繰り返していた。
れいしろせを聴かない日はなかった。
ある日、誰かとこの気持ちを共有したくなった。
今まで1度も入れたことのなかったアプリ、Twitterをダウンロードすることにした。使い方もわからん状態で。

ここまで好きになったからこそ今があると思うと、感慨深い。



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