写真展『兆し、或いは魔の山にて』 創作の背景とその狙い

このテキストを年末にご覧の皆様、また来年よいお年を。年始早々に見てしまった方々、明けましておめでとうございます。2019年2月14から2月19日まで写真展『兆し、或いは魔の山にて』を企画しておりますMeteoroscape Photographicaです!ここではその展示会先行配信としまして、風景写真の創作についてトーマス・マン『魔の山』をひきあいに踏み込んだ解説をしていきたいと思います。正確にいうなら、今回展示する写真、ただ風景を撮っただけの写真が、なぜ、紛いなりにも「作品」といえるのか?説明したいと思います。なぜなら、「写真」を「作品」に変換する流儀には、複数通りあるからなのです。


初めに、『魔の山』のようなドイツ文学研究者以外誰も知らないような作品をわざわざひきあいにする理由について弁明しておきたいと思いますが(※1)、それはこの古典が出版された1924年当時からみて実に正確に未来を予見している、要するに現代の状況を再確認させてくれる、そんな文学作品だからです。

この解説は、以下のような構成を計画しています。

1.古典を振りかえり、左翼/右翼と生活/意識の四象限に分断される現状を確認する
2.展示作品は四象限のさらに上に架すことが狙いであることを解説する
3.その考えられうる近未来像、上部二象限について述べ、「作品」を位置付ける

以上が全てです。時間のない方はここで最後の「まとめ」まで飛んでいただいて構いません。ただそれではあまり意図が伝わらないと思いますので、長編になりますが御一緒に片づけていただければ幸いです。また、事前に「アート好きと公言する人達が喧嘩しないためのアートそもそも論」のエッセイを一読していただくとより分かりやすい内容となっていることを併せてお伝えしておきたいと思います。


1.古典を振りかえる

それでは、さっそく要約をみていきましょう。

ー 『魔の山』(まのやま、Der Zauberberg)は、1924年に出版されたトーマス・マンによる長編小説。ドイツ教養小説の伝統に則ったマンの代表作の一つである。作品はハンス・カストルプ青年が、第一次世界大戦前にスイスのアルプス山脈にあるダボスのサナトリウム「ベルクホーフ」に従兄弟ヨーアヒムを訪れるところから始まる。そこで彼は結核にかかっていることがわかったため、その後7年にわたってそこに滞在することになる ー (Wikipediaより

ということで、『魔の山』というのはアルプスのことかと想像つきます。ですがそうすると字面のイメージと、『アルプスの少女ハイジ』のイメージとに違和感を覚えませんか?こういう違和感は案外重要で、要はタイトルの日本語訳に少々難があるという結論にいたるのです。

というのも日本語で「魔」というとすぐに「悪魔」か「魔術」かという恐怖の連想になるのですが、作中で何度か触れられているイメージ、それは錬金術のマジック ー 精錬、物質の変化と醇化、化体、しかもより高級な物への化体、すなわち昇華 ー なのです(※2)。これは後の解説とも関連してきますし、『魔の山』と急に言われた方に、何かオドロオドロしいことを言われるのかという先入観を与えないため、あらかじめ触れておきたいと思います。

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写真展『兆し、或いは魔の山にて』 創作の背景とその狙い

KAZU@meteoroscape.com

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