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【小説】虚数とパンジー【3】

三、未知の飛行

 ――違うんだ。僕は人間。そして名前は廿日カヲルだ。君はイオナイト。そして新しい君だけの名前を得るんだ。シヲン。発音は僕と弟の名前とお揃いにしてあげよう。地球に咲く美しい多年草の花だ……。

 人間《Human》。
 鉱床は、自分が何者なのかを知らなかった。人間――その言葉は、彼の意識が生まれた瞬間、初めて聞いた言葉だった。鉱床は、目の前にいる奇妙な物体は、自分と同じ生き物なのだと思い込んでいたが、違うらしかった。彼は人間で、自分は鉱床人間というらしい。そして鉱床は、人間とやらの荷物にあった布切れ一枚を身に纏っただけだったが、人間は宇宙服とかいう奇妙な鎧をついぞ外すことは無かった。
 私は、鉱床人間。そしてイオナイト。そして……シヲン? よくわからない。何がどう違うのだろう。人間――カヲルの言葉は意味がわからなくてむつかしかった。そしてカヲルは動かなくなった。ずっと動かない。あれだけうるさいくらいに喋っていたのに、ある時から声がか細くなって、だんだん動きが鈍くなり、そして事切れた。
 何かの遊びだろうかとシヲンは辛抱強く待ち続けた。しかし何も事態は変化しない。しばらく鎧をカリカリと引っ掻いてみる。爪が割れる。なにくそと力を入れて鎧を引き剥がす。頭の丸い鎧以外は案外簡単に取り外すことが出来た。シヲンは初めてカヲルの中身を見た。触ってみるとぶにぶにとしている。新触感。ぬるりとした何かが手に付着した。これはなんだろう。爪の割れた指先がカヲルの皮膚を割けば、そこから赤い液体が流れてきた。おもしろいなと思って何度か割いてみる。流れてくる。しばらくそのねちゃねちゃで遊んでいたが、やがてそれも流れなくなった。シヲンは自分の肌を指先で裂いて見ようとしたが、思うようにいかなかった。今度は傍にあった石ころを掴んで腕を叩いた。少し傷ができて欠け落ちる。しかし赤い液体は流れてこない。
 何かがおかしい。シヲンは体をぶるりと震わせた。それはシヲンが初めて知覚した恐怖だった。目の前にある動いていたはずのものが動かず、そして、同じだと思っていたそれは、どうやら自分とは別物で。
 シヲンは、カヲルの言動を慎重に思い出しながら星の表面を歩いた。驚く程につまらなかった。何周も歩き続けては、疲れてその場で寝落ちた。それを幾度か繰り返した後、シヲンは再びカヲルの元に戻ってきたが、カヲルの体は様変わりしていた。
 地面から虫が這い出し、それを捕食して、欠片を地中の巣に持ち帰っていたのだった。体だったものは内側が剥き出しになり、顔だったものはもうどこか分からなくなっていた。どろどろに溶かされている。シヲンは虫を恐れた。その場から逃げ出した。その日から悪夢にうなされた。それが恐らくカヲルも見ていた夢というものなのだとようやく合点が行く。
 またある日、歩いていたシヲンは虫が足を見せて逆さまに転がっているのを見つけた。反射的に逃げようとして、様子がおかしいと気づいた。石ころで殴ってみたが、潰れて違う形になってしまった。こうなるともう動かないだろうなとシヲンは思った。
 またある日。同じような姿で虫が死んでいた。今度は木の枝でつついてみた。何日もつつき続けたがやはり虫は動かなかった。カヲルと同じだ、と認識した。
 全てカヲルに教えてもらうだけだった世界を、改めて自分の目で見、自分の肌で感じた。見渡せば、自分のように二本の足で動く生き物がいなかった。虫は八つ足だったりそれ以上だったり。時々鉱床から蠢くものがごとりと剥げ落ちたが、それはシヲンよりうんと小さな塊に過ぎず、暫く動いてやがて停止する。一度だけ、自分の頭と似たようなものが高いところから落ちてきたが、それは地面にぶつかると粉々になってしまった。シヲンはおそらく自分も高いところから落ちたらそうなるのだろうなと思った。気をつけなければ。動かなくなるのは怖い。
 自分と同じような生き物が現れるのを待った。鉱床を見つめて、何日も何日も待ち続けた。数え方を知らないから、どれほどの時間を待っていたのかはわからないが、シヲンは何度か目からゴミを零した。ゴミはしばらくしたら出てこなくなった。
 カヲルのことを忘れかけていたが、ある日ふと、カヲルの死骸がある場所に赴いた。そこには何も無かった。木の棒のような、石のような白いものが転がっていた。それは虫の死骸に似ていた。カヲルだとは一目には分からなかったが、錆びた鎧を見て、多分そうなのだろうと検討をつけた。しばらくいじっているうちに、それは折れてしまった。それ以上壊したくなくて、触るのをやめた。
 カヲルの荷物を漁ってみる。カヲルが使っていたのは覚えているから、どうにかして使うものだとはわかっていた。けれどどう使うのか、それに何の意味があるのかさっぱり分からなかった。シヲンは衛星型ロケットを見つけた。そういえば、これの使い方だけは教えてもらったはずだ。何の意味があるかはわからないけれど、退屈だから使ってみよう。シヲンは記憶を頼りにピッピッピッと音を立てて操作盤にいたずらした。ロケットは、起動した。大きな音を立てて、眩い光を辺りに放って、浮き上がった。
「まっ、て?」
 何が何だかわからなかった。けれどそれは、シヲンの手元から離れていこうとしていた。シヲンはまた恐怖した。何が起こるのかわからないが、これが飛んで行ったらまたどこかに落ちて壊れてしまうだろうか。そんなの、だめだ。止めなければ。
 シヲンは、飛び跳ねロケットにしがみついた。ロケットは一度緩やかに下降した。ほっ、と息を吐いたのも束の間。
 ロケットは、目がチカチカとするような、頭が振り落とされそうな、そんな速度で一気に上昇した。そのままぐんぐんと闇の中を突っ切って進んでいく。肌がピリピリとする。振り返れば自分がいたはずの場所が、丸い玉になってしまって、どんどん離れて行く。
 手を離せば、しがみつくのをやめれば、どこかに取り残されるのは明白だった。シヲンはただただ怯えながら小さなロケットにより一層抱きついた。どれくらいそうしていただろうか。やがて変わらぬ自分の姿勢に飽きて、あたりを改めて見回してみる。暗闇の中に色とりどりの輝きが散らばり、様々な形の石ころが点在していた。銀河は綺麗だった。多分これが、綺麗という感情なのだろうと、シヲンは頭の中の記憶からその言葉を探し出して、取り出した。衛生型ロケットと共に進む旅の中で、シヲンにはたくさんの考える時間があった。一人きりになってからずっと自分を染め続ける何かがきっと寂しいという感情なのだとも理解した。やがて、哀しいも覚えた。もう二度とあの場所には戻れないのだろうとなんとなくわかっていた。カヲルを置いてきてしまった、と思った。カヲルの大事なものを散らかしたまま置いてきてしまった。あの星でまた自分は生まれるだろうか。そしたらまた寂しい思いをするのだろうか。それともそんなこともわからないだろうか。どうして私は一人きりなんだろう。哀しかった。……哀しかった。
 シヲンを乗せたロケットは、やがて青い星、地球にたどり着いた。ロケットは速度を緩めた。おや、とシヲンは首を傾げながらも、成り行きに任せた。
 ロケットは、大気圏に突入した。息苦しさと重力を感じたところで、シヲンは自分の体に違和感を覚えた。なんだか柔らかくなっている。カヲルの死骸とも違う感触。腕や足が伸びてウネウネと動かせる。なにこれ気持ち悪い。やだやだやだ、やだ!と叫んだが、その叫び声はシヲン自身にもよく聞こえなかった。形状が変化し、手も足も頭も髪も腹もどれがどれだか分からなくなってしまった。それでも必死にロケットにしがみついた。がむしゃらにしがみついた。ロケットの軌道は波打ち歪み始めた。アナウンスが何かを言っている――『目標地点から軌道が大きく逸れています。不時着モードに移行します』……。
 緑色の大地に、ロケットは強かにぶつかり、爆発した。赤い炎がめらめらと周囲を燃やしていく。その傍でどろどろの黒銀色の流体がめちゃくちゃに暴れ回った。その流体は幸いにも火を空気から遮断し、鎮火した。しかし完全に酸化したシヲンだったものは、無形の液性物質になってしまった。暴れ回るが、どうすることもできない。必死で体を動かし、跳ねた雫を掻き集めながら周囲をぐるぐると動き回った。やがて暴れれば暴れるだけ自分だったものが弾けてどこかへ飛んで行ってしまうと気づきを得る。シヲンは、小さな水溜まりの形にまとまり大人しくなった。その表面は小刻みに波立っていた。シヲンの暴れた跡にはたくさんの草や花がなぎ倒されている。体内に土や泥や砂の不純物も混ざってしまったから、必死でそれを体から吐き出していく。そのうち辺りが騒々しくなった。
「なにかしら」
「なにかしら」
「あらあら」
「あたらしいいきものー?」
「なんだろう」
「これってなんだろう」
「わかんないねー。でもちのうはあるみたいだよ」
「すごくこわがってるねえ。おいで、ひどいことしないよ」
「こわかったねえ」
「よくわかんないけど、こわかったんだねえ」
 キラキラと虹色に輝く何かたちがシヲンの周囲に集まっていた。それはシヲンととてもよく似ていた。失われた地球文明の文献によれば、それは蛋白石《オパール》と呼ばれる鉱床である。それは確かに人の形をしていて、髪の毛を顎の線で短く揃え、スカートだけを身につけていた。シヲンを撫でたが、土や砂と違って混ざり合うことは無かった。撫でられたという感覚だけはシヲンにもわかったが、目が無くなっているので何も見えなかった。何が起きているのかさっぱり分からない。音が聞こえるが、言葉として認識していなかった。ただ、撫でられたその肌触りがいつかのカヲルの手に似ていて。
 未知の流体の震えが止まったことに気づき、一人のオパール人間がそれを籠に入れて抱えた。オパール人間達は、互いにそっくりな顔を見合わせた。
「どうしようか」
「どうしようねえ」
「このこ、ちのうがありそうだもの」
「わかんないことははかせにきこうよ」
「そうだね! はかせにきこう」
「はかせのところにつれていこう!」


 

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りゝ

Twitter→@metrocute Instagram→@twinspooky HP→https://nostarworld.weebly.com/ 趣味で小説書いたり絵を書いたりTRPGやったりしながら猫を愛でてます

小説『虚数とパンジー』

その子は宇宙からやってきて、体は宝石でできていた―― 未来の地球で、身体を鉱物化して生きながらえた最後の人類カヲリの元に、空から子供が落ちてきた。 終末世界で、僕らは出会う。 イラストレーター:ヨツギさん(twitter:@clowneulen)
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