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【小説】虚数とパンジ―【4】

 西暦二〇二八年、アメリカ航空宇宙局通称NASAは、惑星探索機ボイジャー一号及び二号の観測装置の稼働を完全停止した。
 ボイジャー一号が太陽圏を脱出したのは二〇一二年の八月のことである。最後の観測において、ボイジャー一号は長い間仮想天体として知られていたオールトの雲の手がかりを人類に遺した。以降、人類はボイジャーの貴重なデータを元に、宇宙理論を更に展開していった。
 それから五世紀を経る頃、別の探索機の観測装置が偶発的にボイジャー一号のデータを受信した。ボイジャー一号は、オールトの雲の内部に到達していた。
 オールトの雲は確かに彗星の起源であった。オールトの雲の実態が部分的にも解明したことで、人類の彗星研究はより一層の繁栄を見せた。更に数世紀を経る頃には、二〇〇〇年代には想像も出来なかったであろう正確さで、幾多もの彗星の地球への接近時期と最接近時の地表からの距離を予測できるようになった。
 そしてこの進化が、世界的なパニックの契機をもたらしたのであった。
 ある日人類は気づいてしまったのだ。
 彗星が異常接近する日が近づいているということ。
 その彗星は――提唱者の名をとりスカーレット彗星と呼ばれた――地球と月の間を通過してしまうだろうこと。
 スカーレット彗星は地球の重力に引き寄せられ、地上に激突する恐れがある――
 連日メディアで報道され、専門家たちが意見を交換しあった。
 人類は、来たる滅亡の日に備え、地球の財産を、人類が生きた証を、人類という種を後世に残すためのあらゆる手段を講じた。そして――


 その建造物は、ただ一人の住人には広すぎる。
 主に大理石で構築され、かつてのタージマハルを彷彿とさせる。内壁の下方、子供の手が届く高さには、化石を含めた色とりどりの宝石が無造作に埋め込まれている。
 少年は、長い時を生きてきた。この住処は少年が人であった頃よりも多少不便な肉体を使って、長い時間をかけて作り上げたものだ。タージマハルと同様、これはまさに霊廟そのものだと少年は自負している。人類という生き物を、かつての自分の姿を、弔い祀るためにここはある。
 少年の名はカヲリと言った。しかし長いことその名を誰かが呼んだことはない。様変わりしたこの地上で見つけた新人類《オパール人間》は、彼のことを博士《ハカセ》と呼ぶ。彼もまた、己の名前を忘れかけている。
 カヲリは、この地球で最後の人類であり、オリジナルだ。あるいは、元人間である。彼の体は肌色の有機物から濃青色、藍銅鉱《アズライト》様の無機物へと様変わりした。組成式はNiCu2(CO3)2(OH)2である。体を鉱質化することで生き延び、性を失い、寿命を失った。
 本当はこんな風になってまで生き延びたかったわけではない。
 彼の両親は、とある新興宗教に入信していた。
 人類が様々な種保存計画をうち立てていたころ、この新興宗教でもまたいくつかの計画が秘密裏に立ち上がった。その中の一つが、人類鉱石化計画だった。つまり、人間の全ての細胞を鉱物に置換するというものである。
 それは、人間の骨や髪にはその人間のデータが保存されており、宝石化した遺骨や遺髪は個人そのものである、という夢物語から始まった。それは信者の宗教観が多分に影響した着眼点だったと言えよう。
 方法と仮説はこうである。生前の姿を型どりし鋳型とする。鋳型の中には、遺骨の宝石と、触媒として一欠片の鉱物ないし鉱石、その他融剤など必要な諸々を封入する。鋳型は専用の施設に温存し、高圧下におく。数百年から数千年後にはその鋳型から鉱石化した故人のレプリカが再生される。電気的に生前のプログラムデータをインストールして補完とする。
 実験には本人の遺骨が必要不可欠であるが故に、事前に被験者は服毒によって死に、骨を抽出しなければならない。
 少し考えればわかるほどのばかばかしい計画だ。しかしながら、カヲリはその被験者として、偶発的かつ唯一の成功例になってしまった。
 カヲリの兄カヲルは、両親の説得を振り切り、実験から逃れ人類存続の知恵を探しに宇宙へと旅立った。カヲリは兄が無事に帰ってくることを信じて疑わなかった。信者たちもまた、カヲルたち探査部隊の朗報を心待ちにしていた。
 しかし、宇宙探索は失敗した。生還者、ゼロ。信者たちが各乗組員の遺品の一つも回収できずにいる中で、カヲリだけは唯一兄の遺品を受け取った。衛生型ロケットが飛ばされてきたのである。
 兄の形見は、よくわからない物質だった。『新種の鉱石だ』と兄は記していたが、カヲリにはそれがただの黒っぽいヘドロのように思えた。カヲリの被験日が近づいていた。カヲリは、この謎の物質を解析にも出さず、そのまま己の実験の触媒として使用した。
 生き残ろうが死のうが、なんだってよかった。
 兄だけがカヲリの世界の全てだった。息苦しい現実で、唯一外の世界を見せてくれる、光のような人だった。
 蓋を開けてみれば、自分だけが生き残っていた。
 他の鋳型の中を覗いたが、皆悲惨な状態であった。どれ一つ生物として機能していなかった。
 長い時をかけて世界中の遺跡を巡り、手がかりを探した。あらゆる人類種保存計画は失敗に終わっていた。
 カヲリは、ただ一人、見たこともない動植物が蠢く緑の星に、取り残された。

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