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「粋(いき)」が必要だなってはなし

先日、深夜に帰宅する際に
数ヶ月ぶりに行きつけの立ち飲み屋に一瞬だけ立ち寄った。
店内は人が多かったのでビールを一杯だけ外で飲んだ。
ソーシャルディスタンスってやつだ。

「粋(いき)」ってなんだろう

最近「粋」という言葉がずっとあたまのどこかにある。
先日、財団の熊野さんとお話をさせていただいた時に
「粋(いきとすい)」のお話を聞かせていただいた。
侍達が町におり、商人や職人の世界に入り文化が発達した流れから生まれた言葉だという。

「いき」と読みもするが「すい」とも読む。
これは東西の違いがあるらしい。

「いき」は関東の表現で「すい」は関西の表現だそうだ。
意味合いも違っていて
関西の「すい」は関東で言うところの「通(つう)」にあたると言う。
つまり、物事に精通した状態の人やことに使う。
「化学の粋(すい)をあつめた」であり
「グルメ通」であると言うことだと思う。

一方、関東の「いき」は美意識である。
他の表現で言うと「いなせ」「おつ」「しゃれ」がある。
関西の美意識に当たる言葉は「雅」「優雅」「侘び」「寂び」が該当するらしい。

ここまで書いて関東と関西でここまで文化が違うことがとても意外であり新鮮だ。
しかし、よくよく思いを巡らせると府に落ちる。
たとえば関東の江戸落語と関西の上方落語。
江戸落語は笑いの中にもホロリとする情感が織り込まれていて「粋(いき)」な江戸っ子の人情話が描かれる。
上方落語は危機的状況に機転を聞かせ笑いとセンスを描く商人(あきんど)的な感性が描かれる。

「粋(いき)」の定義

僕がここで注目しているのは関東の「粋(いき)」だ。
定義には諸説あるらしいがこの3つがとても気になっている。
”ハリ”と”ビタイ”と”アカヌケ”だ。

”ハリ”(意気地)とは妥協しない心や義侠心だそうだ。
”ビタイ”(媚態)は媚を売ることない、洗練された色気と美しさ。
”アカヌケ”(諦め)は執着心が無く、サッパリとしていること。

この3つの根元は男女関係にあるらしい。
付き合いはじめの男女はこの3つがあり、だんだんとそのバランスが崩れることに日本人は何かを見出していたのだろうと想像する。

真っ直ぐな好きと言う心(ハリ)があり、自分のものにしたいという執着的欲望ではない(アカヌケ)を持ち、その結果滲み出るのがなんとも言えない美しさであり色気(ビタイ)。

そこから発達した「粋(いき)」という美意識。
聞いたところこの「粋(いき)」は、常に醜とのバランスで成り立っているそうだ。
洗練されすぎると色気がない。
主張しすぎると品がなくなると言うバランス感覚。

醜とのバランス

つまり「粋(いき)」と「醜」は常に共存関係にあると言うことだ。
この絶妙なバランスが取れれば「粋(いき)」となり、崩れれば野暮となる。
野暮とは
「世情に通じず、人情の機微が分からないこと」
「世の中の事情に精通しておらず、人の感情における微妙な趣が分からないこと」
「洗練されていないこと」
だそうだ。

現代人には「粋(いき)」が必要だ

ここにきて、大きな気づきを得た。
現代人に足りなくなっているのは、まさに「粋(いき)」ではないだろうか。
SNSなどで散見する様々な主張の中には、物事を平たく捉えて、事実を並べ、物事の道理を伝えてくれることが多々ある。
僕はこれに対してダメだとか嫌だとかいう気持ちはさらさらない。
しかし「どこかスッキリしない」感覚は間違いなく腹の中に生まれている。
その答えが「粋(いき)」なのではないか。
野暮は「世情に通じてない、人情の微妙な揺れやからくりに疎いこと」とするならば説明がつく。
正論を延べ、合理的なディベートの論法では「粋(いき)」などは生まれるどころかそもそも非効率なことだと言われるだろう。
しかし、以前noteにも書いた坂本龍馬の「長州がかわいそうじゃ」発言は「粋(いき)」ではなかったか。
そして、それは不可能とも言えた薩長同盟を実現した。

「粋(いき)」な大人が減ってしまった。
というか、「粋(いき)」という概念が消失しかけている。
勝新太郎ら昭和の大俳優らは、そんな「粋(いき)」を生き様として現していたように思う。
そこには合理や善悪の感覚では表現できない絶妙な「醜」とのバランスがあったように思う。

江戸時代の「粋(いき)」な人々から見たら現代人はどのように映るだろう。
いま必要なのは「粋(いき)な大人」の存在なんだと何となく想像する。

「粋(いき)」を感じた夜

ソーシャルディスタンスを維持しながら立ち飲み屋で外飲みをした夜。
コロナで苦心している店の子と少しだけ他愛もない会話をした。
一杯の生ビールをサッと飲む。
稼ぎ時の手を煩わせたくないので
「お釣りはいいよ」と立ち去ろうと思い財布を見たら5,000円しか入っていない。
一瞬考えた。
でも飲み終えたビールのジョッキにその5,000円を挟んで何も言わずに立ち去る。
「いやぁまいったな、なけなしの5,000円‥‥」って思ったけど、考えても仕方がないので執着せずに帰路につく。
不思議なことに、その体験は僕になんとも言えない気持ちを描いてくれた。

ここに書いてる時点で野暮な話だが
少しだけ「粋(いき)」って何なのかが感じれた気がした夜だった。

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