不毛

不毛会議 #200

「こいつらどうやってベンツに乗れるようになったんだろう」

毎朝
目黒通りを通勤する僕はずっとこの事を考えていた。

目黒はベンツが普通の車に思えるくらい高級車率が高い。

老若男女背景はわからないけど良い車に乗ってる面々が次々と目の前を通り過ぎていく。
その光景を眺めながら、田舎から文無しで上京して、東京で成り上がろうと野心を抱いていた僕はとにかくギラギラしていた。

この会社に出会ったのはたまたまであった。
「自分のブランドを持つんだ」
と野心を抱き上京。
面接は数多くするもどこの会社にも入れず仕方なくアルバイトをしていた頃にたまたま再会した後輩に
「この会社なら絶対入れますよ」
と勧めてくれたので電話したら即入社することになった。

念願であったアパレルメーカーでしかも生産管理をさせてもらえるという事で夢と希望に燃えていた。

なぜなら服飾の専門学校を出たわけではない僕は、イチから服の作り方を覚えなければいけなかった。
だから仕事と勉強が一石二鳥のこの環境は最適だった。
というより最高だった。
お金までもらえて知識と経験すら得られる。
求めさえすれば必要な情報は手に入るのだ。

当時この会社はアパレルバブルの全盛期。
何をやっても高い値段で信じられないくらいの売り上げをたたき出していた。
入荷する商品はサイズが大きかろうが、柄のデザインが違おうが店頭に並べたら飛ぶように売れていっていた時代。

Mサイズのオーダーに対してMサイズが足りなくなったら、お客さんに断ることもなくXLを勝手に入れて送っていた。
それでも返品、ましてやクレームなんかくることはなかった。
全て売れてしまったからだ。
そんな時代だった。

この会社で働いて十数年。
ここで働いていた人間は
「この会社に一生居る」
と思っている人間は一人もいなかった。
むしろ
「早く実力つけてここを抜けださないと」
と考えている人間しかいなかった。
それはいわば学校であり
刑務所のようでもあった。
だから我々は退社する人間を
「娑婆に戻る」
と隠語で表現していたし
退勤、退社することを「出所」と呼んでいた。

この会社での送別会と言うものは、本当の意味での人生の一歩を踏み出したと言う認識で送り出していた気がする。

「もう二度とアズナブルの妄言に付き合わなくていいんだ」
という羨望の眼差しと
「実際にこの会社で身につけた実力は社会に通じるのか」
という自分事のように不安に思う複雑な気持ちで見送っていたことを思い出す。

恐らくこの会社の体験者は誰しもが感じたであろうけど、この会社の特異性は入社して数日で気が付くはずだ。

何よりも社長(アズナブル)がぶっとんでいた。
発想力、行動力、実行力など強烈な推進力を持っていた。
特に地頭力と言われる面においては人生でそれまでも、それからも出会った人の中で群を抜く存在だ。
そして何よりお金に対する執着は地獄の炎のように消えることのない熱を放射し続けていた。たとえ落ちている1円でも見逃さなかったし、世の中金より大事なものがあると考えているような社員のことを軽蔑していた。

そんな社長の発言は色々な意味において格言のようであった。
その大部分は天然ボケのようでもあったわけだが。

近年、その会社が計画的に商売を閉めたとうわさを聞いた。
それを受けて、長年潜在的に自分の中に醸成されてきた社長の言葉をまとめ出版しようと2016年にまとめ直していたものが”不毛会議”。

人と人は理解し合えない存在だ。
理解なんぞできないからこそ、自分との違いを相手の中に発見し、その違いを驚きながらも価値を共有していくことが求められる。

アズナブルはその自身の価値というものを超積極的に社内にアウトプットしていた。
その為
理解できず苦しむ者もいたし
鬱になるものもいたし
上手くそれを利用して出世した者もいた。

しかし、この全ての「彼の価値観」を全身で受けることで我々体験者は間違いなく彼の価値観と同様に「私の価値観」にいやというほどに気が付かされたはずだ。

普段なら言わないような人に知られたくない自分の闇ですらアズナブルは出していた(出していたという表現は正確ではない、どちらかと言うと隠そうとしても漏れハミ出てしまっていた)ことで周囲の人間は、それが触媒となって本当の意味での自覚を強烈な刺激とともに促されたのかもしれない。

今振り返るとこの会社での十数年は自分の人生の中で大きな影響力を持っている。

まさに、生きていくという事のシビアさや、ろくでなさや、不条理な汚さ。
そう社会とは理不尽であり不公平であり無情なのだ。

だからこそ人間の素晴らしさというものを身を持って学ばせて頂いた。
"逆に"だ。

これには感謝の言葉しかない。

晴れて出所した僕に何が出来るのだろうか。

不毛会議は200話で終わりを迎える。
この出来事があった時代から時間は流れブラック企業が糾弾されワークライフバランスと言った言葉が飛び交う成熟社会へと変貌を遂げた。
いま振り返るとアズナブルの会社は当然ブラックだったのか。
僕はブラックという陳腐な表現では満足しない。
ブラックとホワイトなんて線引きできるものではないのだ。
お互いに利用しようとし
お互いに大人の取引をした。
賃金と経験を引き換えに
利益と忠誠を渡す。
しかも相当難易度高い要求の元。
これですら今振り返ると質の高い教育だった。

アズナブルと対峙する事は体感的にポルシェで高速を300kmでぶっ飛ばす思考力に似ている。
高速を降りた直後60kmでも10kmくらいに感じるかのごとく、常に思考スピードどレイヤー層が分厚い。
それはラーメン屋で注文する時だとしても。

そんな日々を過ごす中
大きな気付きは不毛でしかなかった会議ですら
捉え直す事でユーモアという価値に変わることを知ったことだった。
これからも不毛な出来事に出食わす度に捉え直す事だろう。

かつての元同僚達は陰日向に活躍している。
あの教育は芽を出したのだ。

この会社に出会えて本当に良かった。

もう一度この会社に入るかと問われたら迷いなくこう答えるだろう。

「お前気は確かか?」と。

正気に戻るまであと0日。

おしまい


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