4章クレオールの先駆者達 (2)巡礼によるナショナリズム

題名は僕が読んで適当に書いてます。

(1)では、クレオールがスペインに反発してナショナリズムを作り上げた事を書きましたが。
何故愛国心が生まれず反発が起きたのか?を巡礼という視点からも見ていきます。

巡礼によるナショナリズム

①宗教的な巡礼 
②ヨーロッパの世界帝国による政治的な巡礼の変化
③クレオールの巡礼

①宗教的な巡礼
世界を見てみると、旅や巡礼の重要さが書かれていた。

出版ナショナリズム以前は、この巡礼によるナショナリズムが重要な位置付けになっていた。

キリスト教、ムスリム、ヒンドゥー教が聖地のローマ、メッカ、ベレナスがあったように、そこに集まる巡礼が一般的だった。

そこでは、聖書や聖地の文字を読める人と文字の読めない人の交流が行われていたし。
一緒に聖地を目指して長い旅を共にしていくという事や、最後に食堂で色んな国の人々が食堂で食事を共にするという事もして。
それらが自発的に行われていたのが大きいなと思う。

②ヨーロッパの政治的な巡礼
その後、ヨーロッパが世界的に支配力を強めていく事により、巡礼は変化していった。
今までは、地方の役人がそれぞれで政治を行っている所。
それらを国が支配する為に新しい国に従う役人を地方に巡礼させて、支配する様にしていき。
能力に応じて等級を与えて、地方(4等級)→地方都市(3等級)→都市(2等級)→首都(1等級)
という様にしていく事により、巡礼に階級を持たせたり、役人同士が政治的巡礼地の重なりや故郷が巡礼地と重なる事によって交流が深まった側面があった。(日本の企業の人材の異動みたいな感じ?)

③それに対して、クレオールは全く政治的地位を与えられなかった。
スペインが支配していたアメリカにおける副王の内、副王に任命されたのは、ほとんどがスペイン人で、クレオールは少数しかいなかった。当時アメリカにはほとんどがクレオールで、スペイン人は少数しかいなかったのにも関わらずだ。(アメリカでは、クレオールが95%占めているのに、副王になれたのは3%しかいない。スペイン生まれは5%なのに、97%は副王になっている)

そして副王になったとしても、地方の巡礼のみで完結させて、階級が上がる事はなかった。

そして、驚く事にスペイン人がアメリカに少しの間移住して、その間に生まれた子は、言語、宗教、礼儀作法がスペイン人となんら変わらないのに、クレオールとみなされてしまうのだった。

(1)の金銭的な意味や貿易的な意味でも、今回の(2)の巡礼による政治的な意味でも。

その様な差別的な扱いを、クレオールは何故受けたのか?

次のnoteで書いていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?