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【総括】人びと202404

どうも、めやしっぷです。

3月、自分を大切にする選択できるようになってきた。少しずつ、確実に。そこから流れが始まっていたのだと思う。私はようやく自分を大切にしてくれてる人を見分けられるようになった。

いや、本当は多分違う。私を大切にできる人ではない。相手と関わって自分で自分を大切にできる関係性だ。その人が好きだから一緒にいるのではなく、その人と一緒にいる時の自分の状態が好きだから一緒にいる。怒られない。軽蔑されない。無根拠な批判をされない。毒を吐かれない。話が通じて心地いい。頻繁に連絡取り合わなくても互いに思い遣ってると確信できる。信頼できる。安心できる。

逆に疲弊する関係性は少しずつ回避するようになった。関わると疲れる。でも疲れるのは「自分」なので「相手」にこうして欲しいとか何もない。離れたいだけ。遠くから幸せは願っとくよ。そんな距離感だ。
前向きにどうでもよくなった。

書いてみると当たり前っぽいけど実生活で実践するのが難しかった。人、一人を拒否したら、感覚の上では地球上の人間全員に非難され居場所を奪われるんじゃないかという恐怖感さえあった。この人とうまく付き合えない私が悪いという感覚も、私の中にも非があるに違いないという感覚もあった。
でも、居心地良くないなら仕方ない。
そこで関わるのは相手にも失礼だ。私の友達もそう指摘してくれた。

もういい。私がどう感じるのかが全てだ。ハハハッ!!私の感覚が私の絶対的真理になるのだッ!!これは大発見だった。でも、どうやら、周りの人の多くはそういう基準で生きてるらしい…。

そもそも自分の行動選択に絶対的な正しさを求めることこそ、自分の過剰な保身であり、現実に対する怯えなのかもしれない。

すると…私はようやく自分自身と向き合い始めたのかもしれない。

互いに疲れたら距離を取れる、
必要ならまた戻れる。
そこに善悪はない。
流動的で心地よくできる。


自分を取り囲む人間関係が変わっていくのを感じる。

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