1989年東西ベルリン珍道中 #4

審査官の指示で手下どもはまず、私の荷物をX線にかけた。
一応、カメラとフィルムは取り出させてくれた。そのくらいの情けはあるようだ。フィルムがX線にかかるとすべてパーになる。

そのあと、リュックを開いて私の荷物を全部調べ出した。
言っておくが私にやましいことなどない。だから堂々としていればいいのだが、

私の荷物を調べるのが若い兄ちゃん達だったのがとてもいやだった。なにより出発の時間が迫っているので気が気ではない。

私は言った。

「○時×分の列車に乗るんです!」


…………無視


それどころか、ゆっくり、ゆっくり楽しそうに荷物を開けている。言ったのが裏目に出てしまったのか。特にドライヤーやウォークマンなどの電器製品はとても珍しそうに手に取っていたのが印象的だった


……と言ってもそのときの私はそれらが没収されてしまいやしないかとヒヤヒヤしたのだが。


やっと解放されたときは列車の発車時刻を数分過ぎていた。


それでも発車が遅れることもあるだろう。私はとりあえずホームに走ってみた。

列車は出た後。


ここであきらめてなるものか!


私はとにもかくにも西ベルリンに戻ることにした。あの列車は西ベルリンには多少長い時間停車しているにちがいない。そう読んだのだ。それに、一秒たりとももう東ベルリンにはいたくなかった。

そこに来た他の列車に乗ったのか、地下鉄に乗ったのか、よくは覚えていない。とにかく忌まわしき東ベルリンをあとに、西ベルリンに向かった。

すぐに到着。私が乗るべき列車のホームめがけて走る!

階段の先には列車がいる気配がする!

20kgのリュックが邪魔して思うように階段を上れない!でも駆け上れ!



階段を上り切った時、私が目にしたのは、今まさに発車したばかりの列車の後ろ姿だった。


あと10秒早ければ間に合ったかもしれないのに……。

私はマンガのようにへなへなとしゃがみ込んでしまった。

泣いた。 なんの解決にもならなくても出てくる涙は止められない。

ひとしきりホームで泣いた後、気を取り直してとにかく駅のインフォメーションに。宿をとるためである。

もう夜も遅く、安いホテルは残っていなかった。予約出来たのは(私にとっては)高いホテル。だがしかたがない。駅で野宿するわけにはいかない。バックパッカーが寝袋で野宿、というのはよくある話かもしれないが、私はそこまで無茶なことはしたくなかった。(第一寝袋持ってないし)

さて、手続き待ちのため力なくインフォメーションで座っていると、同じくバックパッカーの日本人が「君も×時△分の夜行待ち?」と声をかけて来た。

いいや、実はこれこれこういう理由で、のるはずだった列車に乗れなくってねえ……。今、ホテルとってるとこ。

×時△分のは○○行きだよ、乗ればいいんじゃない?

そうなの?私はあわてて時刻表を見た。たしかにそれに乗れば乗り換えは増えるけど夜行で目的地に行くことが出来る。

インフォメーションの窓口の女性に、今の予約、やっぱりいいです!と告げ、かくして私は西ベルリンを後ににしたのである。

これでこのベルリン珍道中はおしまい。

さてその後、コックさんたちとはウィーンで再会。一緒に立ち見でオペラを観たり、楽しく過ごした。もちろん彼らと東ベルリンで別れた後の出来事をたっぷり愚痴ったのは言うまでもない(笑)。


あれから30年以上経った今でもあの二日間の出来事はあざやかな西側のベルリンの壁、灰色の東ベルリンの風景とともに、昨日のことにように思い出されるのだ。


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