よく柿を食う女
私は柿が好きだ。
下宿のすぐ隣に小さな青果店なんてあるもんだから、秋になると毎日柿を一つ買ってから帰るような生活を続けている。これは私の中で一種のルーチンとなっていたため、気がつけばすっかりこの店の常連になってしまっていた。
「隣の客はよく柿食う客だ」という早口言葉があるが、あの青果店の店主からしてみれば私は正に「よく柿食う客」だと思われているに違いない。
古今東西で使い回されている有名な早口言葉にたった少しでもコネクションを持てるというのは悪い気分ではなかった。それどころか、むしろ誇らしいような気持ちさえあった。
ふと、この早口言葉は真に私のことを言っているのだと証明しなければ、という考えが頭をよぎった。そんなことをして特段何かあると言う訳でもないのだが、どうしてもこの早口言葉を自分の所有物にしてみたいという衝動が抑えられなくなっていた。そんな仕様もないミッションに手を出してしまうほどに、アルバイト先であるレンタルビデオ屋と下宿を往復をするだけの生活に退屈していたし、それと同じくらいの熱量で柿を愛していた。
ーーーということなのだけれども、と話を締め括ると、田中は「ハァ?」と言うような表情を見せた。
これだけ真剣に思いを語ったのにそんな態度を取られてしまっては、なんともきまりの悪いものである。
「だから、あそこの青果店に行って、柿を毎日買う女について店主にこっそり聞いてきてほしいんだ。」
件の早口言葉を我が物にするためには、なんとしてでも店主から言質を取らなければ、と私は考えた。
それでも、当の本人が直接伺って「私のこと、裏でなんて呼んでます?」などと聞いてしまうのは如何にも不躾であるし、面と向かって真実を口にできるはずがないと思った。
そこで、田中には以前少しばかり金を貸して恩を着せていたことを思い出し、ここが恩の返され時だと判断してファミレスに呼び出し依頼をしたという訳だ。
田中はやはり訳がわからないといった様子であったが、遂には席を立ってしぶしぶと青果店へ向かっていった。
二十分ほどドリンクバーで時間を潰していると、青果店のロゴが入ったビニール袋を手持ちにした田中がのそのそと帰ってきた。
袋にはみかんが三つ入っていたので「そこは柿を買えよアホ」と思ったが、そんなことを考えている暇はない。
私は居ても立っても居られない様子で「どうだった!?」と詰め寄ると、田中はにやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべて「カッキー、と呼ばれているらしいよ」と言った。
カッキー・・・?
私は困惑した。
なんだ私は「よく柿食う客」とは呼ばれていないのか、という以前の問題である。
こんなにも柿が好きで好きで堪らない店の常連を、カッキー・・・?
そんな安直かつありふれたニックネームで呼ぶことなど、果たして許されるのだろうか。いや、許されてはいけない。
もっと他に、何かあっただろう。
例えば「柿上田村麻呂」とか「かき竹城」とか、少し頭を撚れば私に最も相応しい柿ニックネームがあったはずだ。
それなのに、カッキー・・・?
百歩譲って「妖怪柿喰らい」であれば地域のクソガキの間で語り継がれる可能性がある分まだ良かったものを、カッキー・・・?
カッキーなんてふざけたニックネームを付けられてしまったら、私が柿の妖怪なのか牡蠣の妖怪なのか全く区別がつかないではないか。
私の怒りはふつふつと湧き上がり、それでも愛する柿の御前で理性を失うことはできないと奮い立ち「なんで・・・カッキーなの・・・?」と恐る恐る田中に聞いてみた。
「ほんのりガッキーに似てるから、だってさ。」
「じゃあ干しガッキーにしろや!!!」
納得してはいないけれど、
ちょっぴり嬉しかったので、
その日は柿を二つ買って帰った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?