熊騒動と動物愛護団体

今年は熊の目撃や被害が多い。
原因はエサ不足とのことだが、これは自然界の影響なので仕方のない事。

気になるのは動物愛護団体。熊を捕獲・駆除するともれなく騒ぎ出す。家畜が可哀想という理由で解放活動をする。
彼らは矛盾に気付いてないのだろうか。

まず、「牛や豚が可哀想」という主張が他の生命に反映されていない矛盾。
肉や魚だけでなく野菜にも命がある。個人的にベジタリアンになるのはその人の勝手だが、本当に命が大事だと主張するのなら、人間が生命維持活動をする為に口にするものが何もなくなる。
解放活動も然り。野生で生きる術を知らない個体がある日突然野山に放り出されても生きていけるわけがない。餌の確保の仕方、危機管理能力、どうやって覚えていくの?と。

そして熊の話に戻るのだが、今はある程度上手く共存出来ていると思っている。
乱獲しているわけでもないし、絶滅危惧種になるほど個体が激減しているわけでもない。あくまで、何となく棲み分けられ出来ているお互いのテリトリーを侵した場合にだけ捕獲駆除という形で線引きをしているだけ。人間はそのままでは線引きが出来ないから猟銃や罠という道具を使っているだけ。
『熊が可哀想』という理由は、熊には伝わらない。熊は生きる為に食糧を求めた結果テリトリー外に出てしまっただけで、そこに『人間を襲ったら可哀想』という理性はない。だから出てきた先で食糧を得てしまうと、そこを餌場だと認識して繰り返し出てきてしまう。

命というものに対して深く考えることが出来るならば、この団体のような行き過ぎた短絡的な言動にはならないと思うのだが。

全ての生命維持活動をしているものには命がある。動物だけじゃなく植物にも。

『熊が可哀想』『家畜が可哀想』という主張は『犬が好きだから守りたいが猫はどうでもいい』と同レベルだと認識している。

個人で思うのは自由だが、それを他に押しつけようとするのを見ると「矛盾してるのわかってる?」と突っ込みたくなる。

ふとブッダの逸話を思い出した。
「これまで嘘をついたり後ろめたいことをしたことのない人だけ殴りなさい」だったかな?


『これまで蟻一匹、草花一つの命も奪ったことのない人だけ主張を続けて下さい』

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