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約2年間で「VRChat」から感じとったもの

まず結論から

・VRSNSは年齢、性別、国、人種…etcの垣根を取り払う
・結局人は変わらない
・一般的な能力しかない普遍的な人間の夢を実現させるための梯子
・夢の世界と人間関係が感情を揺さぶる

本題の前に自己紹介

※補足でしかないので読み飛ばしてもらってもOKです
めぐほむ
年齢:28
性別:男性
出身:千葉県
交友:狭く深く

初アバター「Silfen」

VRSNSは年齢、性別、国、人種…etcの垣根を取り払う

VRChatを始めてすぐに感じたことは
「誰が誰だかわからない」だった。

リア友と一緒に始めたVRChatで案内をしてくれた「れーゆ」さんや「Z\P」さんと関わりを持つことになるが、話し方や声や素振り以外での情報が汲み取れないことに戸惑った。

ぎこちないジャスチャーで四苦八苦する2人

基底現実では見た目、表情、声、話し方、癖など多様な要素で人間性を判断する。しかし、形としては基底現実さながらの視覚を持てる仮想現実ではその多くが遮断されていた

「性別は?」「何歳?」「外国人?」「身長は?」
そんなほぼ一瞬でわかるような情報が入ってこないのである。

実際に私の周りでも事例として、年上と思ってた人が年下だったり、おじさんだと思ってた人が未成年だったりと人間の皮を隠されると案外簡単に人は欺けるようだ。

こういった時、人は人をどう判断して評価するのか。
「声」「性格」「話し方」「考え方」「なにをしてきたか」
こういったところの判断材料しかなくなってくる。

一期一会で、仮面舞踏会のようで、真実か否かはわからない。どこか空虚な社会だと感じた。

しかし、この情報の遮断は何も悪いことだけではなかった。

人間同士の垣根を取り払い、普通であれば出会うことのなかったコミュニティを形成してくれた。
年下と年上もなく、社会人と学生もなく、国家間のイザコザもなく人と接するチャンスが転がっている。

VRChatでなければ出会わなかったであろう仲間

出不精でインドア派であり、狭くとも他者との繋がりは感じていたいと思う自分にとって、この存在は大きくなった。

結局人は変わらない

これには2つの意味がある。
・VRChatは人を変えてくれるわけではなく、あくまでその人自身を映す鏡である
・人はどんなに歳を重ねても本当の中身は子供のままである

基底現実で人に慕われる人は、仮想現実でも人に慕われる。
無意識に人の嫌がることをしてしまう人は、仮想現実でも人に同じことを思われる。

VRChatterが大好きなミラーと同じく、常にその人のそのままの姿を見せているだけなのだ。

つまり、
「VRChatなら変われる!」なんて魔法は存在しない。
変わるのはVRChatではない。あなたが変わらなければならない。

そしてもう一つ、
どんな人間も中身は子供のままということ。

VRChatの世界に身を投じる人々は一種の酩酊状態になっている。これはアルコール摂取による酩酊と似たものだ。

VR飲酒も案外悪くない

「酒が人をダメにするんじゃない。人間がもともとダメだということを教えてくれるものだ」

という言葉がある。
これの解釈は人それぞれあっていいと思うが、
「酒は大人を子供のようにするのではなく、大人はもともと子供であるということを教えてくれている」と勝手に捉えている。

もちろんこれは「子供=ダメ」という意味合いで捉えているわけでない。曲解だという意見もあるだろうが、ここは子供らしく屁理屈とさせてもらいたい。

前文で書いたように、人の垣根を取り払った世界は大人を大人たらしめる制約が大きく軽減される。

楽しそうでしょ?

「VRChatは部室や放課後に友達とバカみたいに笑ってた時を思い出させる」という声をSNSで見かけた。まさにそのとおりだ。

アルコールとVRChatが人の心を掴んで離さないのはここに要因があるのと感じる。

「あの頃に戻ったら」「こんなことができたら」
そんな子供たちの願いが叶うかもしれない仮想現実。

大人の皮の上からアバターの皮を被せ、「こんなこともしたかったんだ」な自分を解放できる素敵で少し残酷な世界が広がっている。

一般的な能力しか持たない普遍的な人間の夢を実現させる梯子

VRChatの世界では「なりたかった自分」を目指すことができ、やりたいことを実現させる環境がある。

一部の人間はそれを実際に基底現実で叶える場合もあるが、9割超の人間にはほとんどできない。

でもVRChatの世界でなければ、
一般人が航空機で空をかけることも、
古代の儀式を実体験することも、
宇宙空間で仲間と夜を過ごすことも、
現実なら間違いなくあの世行きになる体験も、
実現はしなかっただろう。

かくいう私もVRChatで写真を撮ることに楽しさを感じていて、VRChatを知る以前から好きな場所で好きな姿で思うままの絵づくりがしたいとずっと思っていた。
写真撮影だけならVRChat以外でも実現できるが、VRChatの環境がそのステップを格段に早めてくれた。

なりたい自分に、やりたいことを

どんなことをしたかったか、どんなことが楽しかったのか。やりたいことを無理に探す必要はないが、もしVRChatの楽しみを感じとれなくなってきたときは少し思い返してみてもいいかもしれない。

夢の世界と人間関係が感情を揺さぶる

VRChatで得た感覚や考え方は、20後半になる自分にとって大きな新しい風になってくれた。

長年忘れていた深い感情や人と人との繋がりのあり方など両手に収まらないほどの波を実感することができた。

「こんな世界があるのか」「そんな考え方をするのか」
「こういう環境で自分はこう感じるのか」
などといった気づきが湧き出てくる。

気持ちの良い出来事ばかりではなかったが、悲しい出来事でさえも経験として積むことができた。

仮想現実で起きたことが基底現実では起こらないとは限らないし、仮想現実で得た経験や感情が基底現実で腐ることはないと信じている。

おまけ、VRChatで初めて撮った写真

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