見出し画像

Win-Winを諦めない

利他的であること、計画的であること、理性的であることは、生きていく上でとても重要だ。もうすぐ2歳の娘と向き合っていても日々感じる(パパとパンをはんぶんつしましょうね。元気で過ごせるように野菜も食べようね)。

しかしコーチングをしていると、「自分より相手を優先する」「今より将来を優先する」「感情より理性を優先する」という考え方が原因で、逆にままならなさや苦しさに繋がっているのでは、と感じることがしばしばある。

「今の自分を後回しにすること」は、それ自体が悪いことだとは思わないけれども、もしそのときに「Win-Winを諦めている」のだとしたら、そこにはもったいなさと変化の余地があるなと感じた。自戒を込めてnoteにまとめてみる。

我慢すべきと思っていた

子供の頃からなにかと、「頑張らなければ」と思っていた。その結果、「我慢して頑張るクセ」とともに、「感情を無視するクセ」がついた。そんな話を1年前にnoteに書いた。

「頑張らなければいけない」「つらかろうが我慢してやらなきゃいけない」と思っていた節がある。これは染み付いたクセとして今も残っている。
気づいたら、「我慢のクセ」とともに、「感情を無視するクセ」がついてきた。そしてここ数年になってようやく無理が出た。

我慢していたら、無意識にWin-Winを諦めていた

我慢自体が悪いとは思っていない。いい面だけでなく悪い面もあるという話だと理解している。しかし、我慢の裏で、「Win-Winであろうとすることすら諦めていた」のではないか、と思い返すことがあった。

改めて書いていてなんだそれと思うけれども、疲れていたり消耗していたり、余白がなくなっていたり遊び心を忘れていると、無意識に諦めることはけっこう生じる気がする。

娘との庭園での気付き

休日の午前中は娘を公園に連れていくのが日課になっている。娘も行きたがるし、親としても外に出してあげたい気持ちもある。しかし、ずっと娘の要請に答え続けていると、けっこうしんどいときもある。MPが消費される感覚。

ある休日、友人と会う用事に娘を連れて行った際、帰りにいい感じの庭園に寄ったことがあった。とても楽しかった。このときふと、「あれ、娘のためにもなりつつ、自分も楽しい方法を考えるのを諦めていたのでは?」と思った。

Win-Winを諦めないため

「自分より相手を優先する」「今より将来を優先する」「感情より理性を優先する」、もしこれらの考えが無意識にあって(それは素晴らしいことだとも思うけれど)、かつ反射的にそのまま選択している場合は、選択する前に「どちらもWinな道はないか」と自分自身に問いかけたいと思った。

「7つの習慣/スティーブン・コヴィー」の第4の習慣が 「Win-Winを考える」だった(ここでは自他のWin-Winについて言及されていた)が、そこにはこんな一文がある。

高いレベルの勇気と思いやりの両方が、Win-Winに不可欠なものである。勇気と思いやりのバランスこそが、成熟した人間かどうかを測る基準になる。バランスがとれていれば、相手の身になって話を聴き、理解することもできるし、勇気を持って自分の立場を主張することもできるのである。

「勇気」と「思いやり」を持って、自分も相手も、今も将来も、感情も理性も、どちらも尊重できるようになりたいと思う。



--

写真は、庭園体験に味をしめて翌週行った旧芝離宮恩賜庭園。落ち着いてて木陰も座れる場所も多く、草も木も石も岩も幼児の遊び相手になってくれてとてもよかった。Win-Win。

--

cotree advent note 69日目(のはず)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?