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食いしん坊の拒食症闘病回顧録#4

「拒食型の摂食障害」になってしまった食いしん坊の私。
療養のための休職期間中、暇つぶしに描いていたゆるい内容の絵日記マンガを、今まで3回に分けて投稿させて頂きました。

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摂食障害と診断を受けてから、1年半ほど経ちました。
現在はフルリモートで勤務できる職場に転職し、自分のペースで穏やかな日々を過ごしつつ、ゆっくり闘病を続けています。
食事の総摂取カロリーやPFCバランスを過度に気にしてしまったり(最近は特に脂質の摂取量が気になりすぎてちょっと困り気味です笑)、食べたいと思ったものでも栄養成分表示を見て諦めてしまったり…
回復期に来るという「過食期」が怖くて、食べ過ぎないよう毎日食事量を計算してしまったり。

など、まだまだ摂食障害だなぁと実感してしまう状態ではありますが、以前ほどストイックに食事制限したり、食べ過ぎて不安になったりすることは無くなってきているように感じています。

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この度、病気の渦中に描いた絵日記マンガを振り返って「当時の自分、色々難しく考えすぎていたのだなぁ」と改めて感じました。
そこで摂食障害闘病回顧録の最終回として、今回は「今の自分が感じていること」をゆるっと書き留めておきたいと思っています。

※今回も、病気の心がまだ残っている人間のお話になりますので、間違った考えを述べてしまうかと思います。
どうか闘病の参考にはなさらず、こんな事考えながら克服頑張っている人もいるのか〜程度の軽い気持ちで眺めて下さいませ。


心療内科の先生に「摂食障害の患者さんには、頑張り屋さんで自分に厳しすぎたり、自分に自信が持てない性格の人が多いです。あなたも、そういうところがあるんじゃないかしら」とか
「自分を苦しめるんじゃなくて、ヨシヨシできるようにならないとアカンよ」とか、内面的なところを指摘されることが多くありました。

そのため「この病気を克服するには、自分のことをもう少し真面目に考えなくてはいけない」と感じ、「自分と向き合う時間」をゆっくり取ることにしました。
今までおざなりにしてきた自分のための時間をとれたのは、皮肉にも摂食障害のおかげだなぁ…なんて思ったりもしています。


自分のことを考える中で、1つ大きな気付きを得ました。
それは、私の頑張りすぎてしまうところや自己評価が低すぎるところは、どうやら「自分と他人を比較してしまう」のが原因なのではないか?ということです。

例えば、仕事が忙しく残業などでしんどい時。
「疲れた…しんどい…でもあの人は私よりも残業している。世の中には私よりももっと働いている人がいる。その人達に比べたら私なんて全然辛くないのだから、もっと頑張らなくちゃ。」
いつもこのように考え、自分なんて全然苦労していないのだから泣き言を言ってはいけない、と頑張り続けました。

また例えば、少しおめかしして友人とお出掛けする時。
私の理想の「可愛い女の子」は、ふんわりお淑やかで清楚な印象の子なのですが、私自身はその印象からほど遠い外見です(骨格ナチュラルブルベ冬、という感じです)。
「理想の可愛さは私にはない。どんなにおめかししても、ふんわり可愛いあの子みたいにはなれないんだよな。」と思ってしまい、せっかく可愛いねと褒めてもらっても「どうせお世辞だ」と、喜ぶことができませんでした。

こんな風に、私はいつも、自分と他の誰かのことを比べて生きていたようです。
「他の人に比べたら私は仕事をしていないから辛くない」「他の人に比べたら私はこれが出来ないから出来損ない」「他の人に比べたら私はこんな魅力を持っていないから不細工」などなど…
頭の中には常に「比較対象の誰か」の存在があって、それが原因で自分に鞭を打ったり、自分を卑下したりしていたんだ、ということに気付きました。


そこで心を鬼にして、頭の中に「比較対象の誰か」の存在を感じた時に「そんな事知るか!そんな奴知らん!」と考えるようにしました。

例えば、仕事がしんどい時に「自分よりも働いている人」が頭によぎった場合。
「私がもっと働いたところで、この人の仕事量が減るわけではない」
「仕事の時間や量だけを見たらこの人の方が私よりも多いけれど、この人が”辛い、しんどい”と思っているとは限らない。楽しくてバリバリ仕事しているのかもしれない。勝手にこの人の気持ちを私と同じと決めつけるのは、むしろ失礼では?」
「私にとってこの仕事量はしんどいのだ。他の人がしんどいか否かは関係ない、私は今しんどい!」

このように考えると、フッと「自分よりも働いている人」が頭の中から消えるようになりました。
比較対象の誰かがいなくなると、不思議としんどいと思った時に素直に「これ以上頑張っても効率悪いかな、程々に切り上げよう」と思えるようになりました。

また例えば、可愛いねと褒められた時に「自分の理想の可愛さを持った人」が頭をよぎった場合。
「この人と私は違う人間なのだから、持っている魅力も違う。同じ”可愛い”にはなれない」
「つまり、今かけてもらった”可愛いね”という言葉は、私の理想の”可愛い”とは違うタイプの”可愛い”ということ!」
と開き直れば、相手の方の言葉を「どうせお世辞だ」とひねくれて受け取るのも失礼だと思い、なんとなく素直に受け取れるような気がします。

ですが、容姿について必要以上に卑下しなくなったのは「美容院に行ったこと」がきっかけだったりします。
特に希望のヘアスタイルがなかったので美容師さんにお任せしたところ、とても丁寧にカウンセリングしてくださり、本当に素敵なスタイルに仕上げてくださいました。
自分でも「か、かわいい!」と思えるほど納得の仕上がりで、この時初めて「自分には理想の”可愛さ”はないけど、ちゃんと可愛くなれるんだ」と感じることができました。
何より、美容師さんがずっと「かわいい!」「めっちゃ良い!」と言いながらカットしてくださるので、自己肯定感が上がるしかなかったです笑

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少し話が逸れてしまいましたが…
「頭の中にいる誰かと自分を比較して、自分のことを大切にできていないな」と気が付いた時に、その存在を振り払うようにすることで、少しずつですが必要以上に頑張りすぎることもなくなってきているように感じています。
同時に、自分を追い立ててキリキリすることも減ってきたようで、気持ちもとても穏やかです。

心がゆったりすると、食事に対しても以前のようにキリキリと制限する気分になれず。
想定よりも少し食べ過ぎでしまっても「まぁいいや」「今の自分には体重が必要なのだから大丈夫大丈夫」と思えるようになってきました。
心療内科の先生方が仰る通り「自分に厳しすぎる性格を見直す」「自分をヨシヨシできる心の余裕を持つこと」は、摂食障害克服にとても大切なのだな、と肌で感じています。

自分を甘やかすバレンタインチョコ

学校や会社など、日本の社会は他者と比較される機会が多いので、私のように「頭の中の誰か」と自分を比較し、無意識に自分を苦しめている方も少なくなのでは…と思っています。
私も学生の頃、頭悪かったので成績維持のためお勉強を頑張ったりしていたので、より一層「自分と誰かを比較する」癖がついていたのかもしれません。

今、頭の中の誰かと自分を比べて、自分のことを大切にできていない方がいらっしゃったら…
どうかその人と比べることはやめて、自分第一にゆったりと日々を過ごしてほしいな、と思っています。


当時ブログで闘病記録を綴っていたのですが、こんな風に突然、摂食障害のことを書くのを辞めてしまいました。
理由は「病気のことばかりではなく、紅茶とか食べ物とか、自分の好きな物のお話をたくさんしたい」「自分は摂食障害克服カウンセラーになりたいわけではない」と思ったからでした。

なので同様に、noteでの摂食障害に関する投稿も今回で最後、これ以上は更新しないつもりです。
引き続き自分が大好きな紅茶や食べ物のお話を、ゆったりマイペースに投稿したいと考えています。

私もまだまだこの病気を完全に克服できたと言える状態ではないので、今までの投稿で間違った内容を書いていることもあったかもしれません。
ただ、せめて「摂食障害は、痩せ願望のある人やダイエットをしている人だけの病気ではなく、誰でもなり得る身近で危険な病気」だということだけでも、お伝えできていれば良いなと思っています。

摂食障害をきっかけに、ようやく自分を大切にできるようになってきたので、今後も引き続き病気にゆっくりと向き合いつつ、今までキリキリ自虐して生きてきた分を取り返せるように、楽しく穏やかな毎日を過ごしていきたいと思います。
全4回、最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。

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