「認識の歪み」が悲劇を招く

物語の展開を、読者は阻止することができない。

悲惨で刺激的な物語は、想定スピードを超えたジェットコースターみたいだった。一度席に座ってしまったら、結末にたどり着くまで降りられない。正直、怖かった。読み終えて呆然とした。


芥川賞を受賞した、高橋弘希さんの『送り火』。

この作品は、暴力の描写がえげつなくて、読む人を選ぶ。読後感もすごい。でも読み終えたあともずっと考えてしまうくらい、後を引く物語。だからぜひ読んでほしい。読んでほしいのでレビューを書く。ネタバレを避けつつ、書くよ。

あらすじはこうだ。

春休み、東京から山間の町に引っ越した中学3年生の少年・歩。 新しい中学校は男子6名、女子6名しかいない小さな学校で、来年には廃校が決まっている。 

 転校を繰り返してきた歩には、クラスの中心人物が誰なのか、すぐに見抜く力があった。学級の中心的人物は、晃。気さくに声をかけられ、歩は輪の中に溶け込めたことに安心していた。

 しかし歩はやがて、晃が親となって始めるオリジナルの花札遊びの中で、晃の暴力的な意識に気づき始める。

 花札が始まるたびに、チリチリとした緊張感が走り、疑念は確信へと変わる。田舎の閉鎖的な人間関係を「傍観者」として見ている歩だったが、やがて想像を絶する陰惨な暴力の渦へと巻き込まれていく……。


都会から田舎へとやってきた歩の目には、全てが新鮮に映る。自然の描写はみずみずしく、力強い。土や風の匂いが薫ってくるようだ。

美しい自然の風景の描写の中で、目を背けたくなるような陰惨な暴力が描かれていく。少人数のコミュニティには、逃げ場がない。その中の1人となったとき、私たちはどう振る舞うのが正解なのか。

クラスの中心人物、晃は朗らかだが、時折暴君のような狂気をちらつかせることがある。その刃物のような無自覚な暴力が恐ろしく、ページをめくる手が止まらなくなる。「嫌な予感」が通奏低音のように終始ずっとつきまとう。


この小説には重大な「罠」がある。

私たちが現実を生きるとき、認識できるものには限界がある。どうしても、自分の視点でしか物事を見ることができない。自分を過信し、自分が見たもの、感じたことをすべてだと信じたとき、時として「認識できなかったもの」が牙を剥くことがある。
読者として物語に触れるとき、私たちはその世界を俯瞰して見てしまう。
しかしその俯瞰するという行為そのものが、無自覚な悪意なのかもしれない。

眩しく強くすごみを増していく暴力の中で、歩が最後に目にするものは、主人公だけでなく、読者の私たちまでも貫こうとする。
読者として椅子に座っている私たちは、傍観者だ。物語の流れを断ち切る力はない。ただただ無力であることを痛感する以外ない。


強者と弱者、そして傍観者。 
作品を読み終えたとき、閉鎖的なコミュニティ内の少年たちの関係性、そして自分自身の人との関わり方について深く考えざるを得ない。



クライマックスシーンの描写はただ息をのむばかり。色彩のコントラストの描写もすごい。田舎の美しい風景の中、暴力の象徴のひとつとして蛍光色のアイテムが混ざってくるのが、チリチリと嫌な感じを演出していた。身が焼かれるような想いがする。嫌な「予感」は拭えないまま、爆発してしまう。

この物語の果てに何があるのか、ぜひその目で確かめてほしい。


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