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BTS JIN : 幸せの基準 極強火オンマジンペンの슈취타感想文

何から書けばいいだろう。

私はいつも、ソクジンの、彼の幸せを願っている。
だが、その彼は、幸せだと言う。

似てる気がする。
私と考え方が。
あぁ、ジンペンさん達、怒らないで。

幸せに生きようがモットーです

幸せの基準は、人それぞれで。

私はいつも、幸せだと思っていて。

やらなければならない事がある。
それは、誰しもそうで。
それをやりきって、やりきれない日もあったりするけど、空いている時間に、自分のやりたい事ができる。

それが幸せじゃなくて、何が幸せなんだろう。

推しが推せる。
韓国語の勉強ができる。
好きな本が読める。
noteにソクジンへの愛を吐き出せる。

そしてまず、衣食住に困っていない。

私はいつも幸せだよと、人に伝えている。

でもね、幸せだと思える事と、落ち込んだりする事は別物だと思っていて。

落ち込んだりしてもいい。
悩んだりしてもいい。

でも、その時間は短くあるべきだと思っている。

だって、もったいないじゃない?
同じだけ時間は過ぎるのに。

ならば、今、幸せだと感じられる事を、例えばカメラロールのソクジンを見るとかさ、窓を開けて新しい空気を吸いとむとかさ、そんな簡単で単純な事をすればいいと思っていて。

嫌な事は寝たら忘れる。
だから、寝てしまうのも一つの手。

そんな事言ってる私が、お薬に頼って寝てたりするのは、矛盾があるかもしれないけれど。

あぁ、前置きが長くなってしまった。
ここまでは、一度だけ見て、すぐ思った事。

シュチッタのお話をちゃんと書きたかったんだ。

日付が変わって、もう一度見直す。
でもね、54秒で手が止まったままなの。

そこまでを、何度も繰り返しちゃうの。

「この動画をご覧の皆さん
僕は今頃たぶん、軍隊の生活にも慣れてきて、うまくやっていて、一生懸命、国防の義務を果たしていると思います。きっとうまくやっているはずなのであまり心配しないでください。
これからもBTSを忘れる事なく、愛していただけると嬉しいです。」

心配なのは、アミよりもきっと本人の方。
入隊の4日前の言葉。

初めての体験、ましてや過酷な訓練。

兵役後、帰ってきてからどんな状況になるのか、過去のアイドル達を見て感じることもたくさんあるだろう彼が、私たちを心配してくれている。

そしてその後のテロップ。

「そうして彼は、部隊にいる時にシュチッタを見せて欲しいと言うお願いとともに、国防の義務を果たしに向かいました。
本コンテンツは、アーティストの要望に応えて、暖かい6月に公開されたことをお知らせします。」

どこまでもアミ中心。
だからこそ、全信頼を置いて、BTSのJinと言う人を推してるんだけどもさ。

この、心遣いが、優しさが、キムソクジン過ぎて、ここから進めないのよ。

暖かい6月にいく予定だったこと。
それが、寒いのが苦手だと公言しているのにも関わらず、12月に行くことになってしまったこと。
暖かくなってからアミに見せるんだって、そこまで考えてくれて。

この計らいってさ、ジンくん寒いの苦手なのにとか、今頃、過酷な訓練受けてるのにとか、そんな背景一切なしに、ただ楽しんで見て欲しいって言う気持ちの表れでしょう?

いつでも、どこまでもアミ中心の人。

さぁ、そろそろ続きを見なくては。

って、続きを見た途端、また手が止まるじゃないですか。

入隊4日前。過密なスケジュール。
断ったはずの出演。

それなのに、入隊中に、ソクジンとユンギのコンテンツを見たら、アミがきっと喜ぶはずですよと言われ、出演を決めたソクジン。

ねぇ、大丈夫だよ。
私たちは離れたりしないよ。
アミを喜ばせようとするソクジンに、もっと安心させてあげたくなってしまう。

いや、違うな。
楽しませることが、自分の喜びになる人なんだよな、彼は。

情意投合
お互いがお互いを思い、気持ちがピッタリと合うこと。
彼はそうするように生きているんだな、きっと。

あぁ、こんなふうにしてたら、きっと、何時間あっても終わりそうにないな。
そして、何文字になることやら…。

あ、ムルフェお化けに取り憑かれたソクジンさんは実在してたね。

やっぱり私は、ムルフェになりたい…。

2020年のIn the soopの、ユンギからの問いかけに、すぐに肯定してくれるソクジン。

soopの時も、そして今も、間髪入れず受け入れ認める。

以前、ソクジンはバランサーであると言う記事を書いた。

まさにそれなのだ。
相手の、チームの考えを肯定し、士気を上げる事ができる人。
それがバンタンの長男。

彼らの偉業は、ソクジンなしでは成し得なかったのかもしれない。

自分はバカだからポジティブと言うソクジン。
そんなに頭の回転が早く俯瞰的にものを見られるバカは、世の中にいませんよ。

ユンギも高学歴ってすぐ否定してたし。
なんだか、兄を自慢する弟のようだったよね。

そして、ホビが来て、アルゼンチンの話になって。
また、あのステージを見て、私はまた涙を流して。

それから、10年もステージに立っている彼らが、ソロになると非常に緊張する話。
イヤモニがどれだけ大事なのかと言う話。

2018年 MAMA

そんな話をしながらの、いきなりの2018年の話。
いつも、ソクジンは実は、と後になって大事な話をする。

今回、話を振ったのはユンギだった。

2018年、何があって、MAMAのステージで皆が涙を流したのか。
解散まで考えたと話したのか。

ソクジンが、自分を、メンバーを、バンタンを守るためだったんだ。

2017年の終わり、KPOP界にも、バンタンのメンバーにも悲しい出来事が起きた。

ソクジンが会社に対して怒りをぶつけなければ、もしかしたら、誰か一人欠けていたっておかしくはない。

もう何年も、そしてつい最近も、そんな悲しい出来事が続いているのだから。

長期休暇を取ったり、キムソクジンという人が、常識が欠ける事なくそこにいてくれたから、今、全員で10年目を迎えられている、そう言っても過言ではないと思う。

そして、それを正直にアミに共有してくれたソクジン。

はい。また胸がいっぱいで、進めなくなってしまったよ。

寒さに弱いソクジンのために、暑い部屋で過ごしたユンギ。

お互い辛い時には話ができる二人。

永遠のルームメイト。

そして、ソクジンが言う。

「僕はあの時デビューしてはいけない人だったんですよ。」

できる事が何もなかった。
歌も上手くなかったし、ダンスもできなかったと。

すごくわかる気がするんですよ。
私事で恐縮なんですが、今やってる私の仕事って、35歳定年説っていうのがあって。
それを私は、34歳からはじめたんですね。

基礎もわからず、専門的な言葉ばかりで、打ち合わせは宇宙語を聞いている気分だったし、ここにいてはいけない人だと。
適材適所って言葉があるでしょう?と。

ずっとそう思っていて。

ある日、課長に聞いたんです。
なぜ、私をここに呼んだんですか?と。

「ん?ムードメーカー」

ずっこけましたね。
だから、私は、ソクジンのように、自分のできる領域を、自分で作りあげてきたんです。

当然、仕事はできなければいけないから、嘆願して会社から社外講習に行かせてもらったり、若い子達に教えてもらったり。

やっぱり基礎がないので、失敗も多いですけど、楽しくなければ職場じゃないをモットーに、ムードメーカーとして頑張って、気がついたら20年が近くなってしまいました。

ソクジンを見てると、いつも、自分の若い頃を見ている気がするのは、そんなところもあるのかもしれません。

美しき手

2050年。
メンバーそれぞれが、それぞれの基準で幸せを感じていてくれたら、それだけでいい。

私、元気で生きてるかな?

あぁ……。

私が語っていいのだろうか。
今回は、本当に悩んだ。

いろんな捉え方があるだろう。
これは、私が見たシュチッタへの想い。
その他大勢の感想の一つとして、読んでやってくれたら幸いです。

私の中で、このシュチッタは永久保存版です!

プライドがどうのこうのの話の途中で
いきなり出てきた可愛いソクジン

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