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あの日、生きていたわたしは

あの日、生きていたわたしは

写真を撮った

2005年11月5日13:33

うちのおとんの実家は福島県河沼郡会津坂下町高寺舟渡なんですけれど
その実家の敷地内に立っていた掘っ立て小屋です

おとんや舟渡の親戚たちによると戦後、、太平洋戦争だったか朝鮮戦争だったかは忘れたけど
朝鮮の人たちが一時期この小屋で住み込みで暮らしていたそうだ
米作りの手伝いをしてもらっていたらしい

おとんが子どものころ、ここに暮らす子たちとよく遊んでいたらしい
当たり前だけれど朝鮮の人だからって特別おかしな考えを持っているとか
おかしな行動をするという事はなくみんな普通にいい人たちだったと言っていた
子ども同士なので言葉が通じるということもないだろうに
どのようにコミュニケーションを取っていたのかな
言葉なんかいらないのだろうか

この写真を撮った日はポカポカと暖かい日だった気がする
exifによるとプログラムAEで-1の露出補正をしている
15秒前に露出補正なしの計2枚しか撮れなかった

もう少し奥まで突入したはずなんだけれど
怖くて撮れなかった

人間が生きていたときのにおいみたいなものが残っていて

よく廃墟写真、、長崎の端島とかあるけれど
ああいうの突っ込んでいくのはかなり怖いと思うんだけれど

怖くて撮れなかったとさっき書いたけれど
この写真だけは「撮れ」と言われたような気がして何とか撮った


俺たちが生きた痕跡を残してくれ

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