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興味関心が多いことを否定せず、その好奇心を活かしていく

わたしはおそらく人の何倍もさまざまなことに興味をもつ人間らしい。

それは語学の勉強ひとつにしてもそうだ。
大学の専攻は英米語なのに、留学先に選んだのはイタリア。それも英語でなにかを学ぶのではなく、イタリア語とイタリア文化を学んだ。
そんなわたしの大学の第二言語はドイツ語とスウェーデン語。そして短期で韓国やカナダにも留学している。
これだけいろんな語学(そして文化)を学んだとて、すべての言語が完璧なわけではない。むしろ使わなければ忘れてしまうのだからつらい。

また「食」に関していえば人一倍アンテナを張っているタイプだが(美味しいもの大好き!)、現在の仕事と関連してワインを含むイタリアの食文化はもちろん、コーヒーやビール、日本酒、米、チーズ、パン、そして最近は粉全般(特に古代小麦)に関心が強い。
特に造り手の思いやこだわりが反映されているものに心を動かされる。

その他にも「野球」「料理」「旅」「暮らし」「デザイン」「編集」「写真」「プログラミング」「マーケティング」「翻訳」「教育」「歴史」「アート」「哲学」「働き方」「マネジメント」などなど本当に興味関心の幅が広すぎて、正直すべてを専門的に網羅するのには限界がある。というか不可能だ。

それでも自分のしたいことはやらないとすまないタイプなので、これからも少しずつ興味があることは何かしら勉強したり関わっていくだろう。今までもそうだったから。

ただ今のままのやり方ではもどかしいというか、もっと前に進むためにある程度は優先順位をつけなければと思っている。当たり前だと思われるかもしれない。時間は有限。アラサーになって周りの環境や雰囲気、時には言われるコトバの数々で実感していること。時間は有限。わかってはいる。

だから自分の中でこれだという核の部分専門分野はあったほうがいい。
そして、例え専門領域に到達しなくても一歩手前どうしのものをかけあわせるという方法で、無数にある自分の興味関心を昇華していけるのではと思っている。いや、企んでいると言ったほうが正直な気持ちに近い。

昔から将来の夢が決まっている人、この分野のこの道でいくんだと自己理解をしていて、その方向へ一直線に進める人はすごいなと思っていた。羨ましかった。
そんな自分もどれだけ興味関心が多いとはいえ、それなりに取捨選択をしながら今ここで生きていることは間違いない。そのことは自分で自分を褒めたい。

二十代後半になれば、ある程度は自分のビジョンやキャリアが描けていないといけないのかもしれない。
それでもわたしは自分のたくさんある興味関心事に素直に生きていきたい。そしていろんな経験をしていきたい。それが今後わたしの人生の中でなにかに繋がっていくのかもしれない。いや、繋げていきたい。

そしてたくさんある興味関心事から学んだこと、感じたことをnoteにもいろいろと書いていきたい。
いろんな方法で「良いものや思いを伝えたい、つくりだしたい」という気持ちはわたしの中にずっとある核の部分だと思っている。

わたしの人生、まだまだこれからだ。

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