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今も昔もこれからも、食べることは生きることだ

昔から食べることに関しては人一倍関心が強かったかもしれない。

小さいころから食べることが大好きな大食いだった。晩ごはんを食べ終わったというのに冷蔵庫からどんぶりに入った冷やご飯をレンジで温めて食べたり、高校では野球部のマネージャーをしていたが、遠征中の食事では部員さんと一緒に白ごはんのおかわりの列に並んでいた。
まさに成長期。「量重視」な食生活だった。

量重視だったのが「質重視」に目覚めてきたのはイタリア旅行がきっかけだと思う。

大学2回生の頃、可愛がってもらっていた先輩がイタリアに留学した。
よかったら遊びにおいで、ということばを真に受けたわたしは、親の心配をよそにひとりイタリアへ旅立った。ローマからナポリ、そこからカプリ島とアマルフィに行き、最後はヴェネツィアまで北上したイタリア旅行。
景色も出会った人たちも最高だったが、やはり衝撃を受けたのは食事だ。

旅行中にカプリ島で食べた本場のピッツァ

なんでこんなにおいしいんだろう、なんでこんなに素材の味が引き立つんだろう、そんな驚きと感動でいっぱいのまま日本へ帰国した。

それから翌年の春、大学の交換留学プログラムに見事合格し、わたしはイタリアにいた。勉強は大変だったが、やはり現地で文化に触れるというのが留学の醍醐味だと思っていたためアクティブな留学生活を送っていた。

イタリア文化のひとつといえば「食」だ。
イタリアは20州にわかれているが、それぞれの州でその地域独自の料理やワインなどの食文化がある。そのため一括りで「イタリア料理」とするのはどこかもったいない。ワインなんて土着品種が2000種以上あるといわれているのだから、その数だけでもどれだけ豊富な食文化なのかが窺える。

わたしは中部の州に留学していたので、特に山の幸はたくさん堪能することができた。大家さんがおすそわけにくれた大量の夏トリュフを未だに忘れることができない。
高級なものだけではなく、普段から町で売られている切り売りピッツァやパニーノ、エスプレッソやカプチーノだって地元に根づいているお店はどこも本当においしい。

その頃は質重視になりつつあるとは言えどもまだ食べざかりだったので、味わうときは味わい、とにかくたくさん食べるときはひたすら量を食べる生活を送っていた。ハタチってすごいね、もうあんなに食べられない。

10ヶ月弱の留学生活が終わり日本に帰国してから、少しずつ日本のおいしいイタリアンのお店へ行くようになった。帰国しても1年ほどは学生だったので、こだわっているお店にはたまにしか行けなかったのだが、それがまた楽しみな気持ちを醸してくれるから逆に良かったのかもしれない。

社会人になってからは、食好きの友人とこだわりのお店をまわるようになった。その頃にはハタチのときのような食欲は少しずつなくなり、量より質重視へと更に傾きつつあった。

特にワインを味わえるようになってきたのが大きいかもしれない。
ワインは造り手の想いや哲学が顕著にあらわれるおもしろい飲み物だ。わたしはソムリエの資格をもっているわけではなく勉強中の身なので、そんなに語れることもないのだが、ワインはストーリーや造り手のことを知れば知るほどおもしろいし奥が深い。なぜこのような方法でつくるのか、なぜここまでこだわるのかなど追求すればきりがない。

でもそれはワインだけではなく、ほかの食材や料理だって同じだ。もっと言えば食だけにとどまらず、すべてのモノやコトに当てはまる。

人生って奥が深いな、なんてまだまだ未熟なペーペーが悟るのは早すぎると思うが、二十なん年生きてきてそれを「食文化」から感じる日々を過ごしております。

幸いなことに今は「食文化を知る楽しさ」を感じられる仕事をしているが、自分だけがそれを楽しむのではなく、もっといろんな人に伝えていけたらいいなと思っている。

だから今後のことを考えたときに、「食文化×文章×デザイン×編集×企画」が融合したような仕事をしていきたい。ここ最近ずっと考え続けてわたしはこれがしたいと思った。これだけじゃまだ抽象的すぎるので突き詰めないといけないかもしれないが、ざっくり言うとこれがしたい。

ちなみにイタリア料理だけではなく、和食も韓国料理も中華もエスニックもワールドワイドに大好きです。もちろんフレンチも。あ、でもパクチーと納豆は未だに克服できません。。涙

2018年はあともう少しで終わってしまうけど、来年は20代最後の歳として更に前へ進んでいきたい、そんな師走のなんでもない夜に来年へ向けた抱負をここに書き記すのでした。

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