みよ

北国に住む24歳学生の忘れたくない感情のあれこれ。

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北国に住む24歳学生の忘れたくない感情のあれこれ。

最近の記事

23歳、とりとめもなく

友人のnoteを読んでいて、久々にこのアカウントの存在を思いだしたのが3日ほど前の話である。 ログインに手こずりながらもすったもんだの末なんとかログインに成功し、公開している記事を読み返した。 最後にnoteを書いたのは2020年の春、21歳のときだったらしくて、思わず笑ってしまう。 さかのぼって2018年、20歳になりたての頃の記事では一回り年上の人を好きになったときのあれこれについて赤裸々に綴っていて、少し苦いものが込み上げた。 さて今、わたしは23歳になった。さら

    • 缶チューハイで酔い潰れた夜

      「公務員試験を控えているからどうしても今日飲みたい」 小学校時代からの親友からオンライン飲み会の誘いが来たのは金曜日の夜7時半のことだ。今日は自分がホストのオンライン飲み会があるな、それに好きなひととは毎晩話しているし、ということが頭をよぎった。親友の誘いもまた最もで、新型コロナの影響で公務員試験が延期になったとはいえ人生のかかった試験を目前にしていることは事実。 結局、オンライン飲み会をはしごすることにした。 深夜1時に親友とビデオ通話を繋ぐ。1つめのオンライン飲み会は

      • 自室、ひとりきりの夜遊び

        急に夜、ひとりきりになった。イヤホンから好きなひとの声が聞こえてこない夜。 いつもわたしと好きなひとは、夜、通話を繋いでいる。パソコン越しに何気ない会話をして、じゃれあって、ゲームをして、笑いあって、あっという間に更けていく時間を、「おやすみ」の言葉で終わらせるような日々。通話を終えたあと速やかに溶け落ちていく意識にすら、いとしいと名前をつけたくなるような。 どうして今自分はひとりなのかって、たぶんあのひとは仕事で疲れ果てて、早々に眠っただけの話だ。金曜日だし。23時に送ら

        • 恋とか性とか愛とか

          人間関係を考えている。 人間関係全ては恋愛に置き換えないといけないのだろうか、例えば何気ない一言を共有したいという気持ちは恋愛感情でなきゃいけないのだろうか、 同性とならば気軽に何気ない事を共有できるのにそれは異性とは許されないのだろうか、恋愛に置き換えないといけないのだろうか。一緒に美味しいものを食べたいとか、日々の出来事を話したいとか、 くだらないことで盛り上がっていたいとか、好きなものを共有したいとか、あなたの話を聞いていたいとか、同性の友達に接するものと同じ温度で

        23歳、とりとめもなく

          家族のあり方、わたしのあり方

          わたしの家は父子家庭である。 中学2年生の秋、両親が離婚した。小学生だった頃くらいから、母は時々、父を詰っていた。中学2年生の春に引っ越してからは、母は料理を作らなくなった。だからわたしはいつかこうなることを覚悟していた。 母は自らの故郷の町に移り住んだ。 父と母の取り決めで、わたしの親権は父のものになった。母とわたしは会うことを許されなかった。それでも内緒で母とわたしは会っていた。あるときはマンションの駐車場で、あるときは近所のファミリーレストランで、母方の祖父母がわ

          家族のあり方、わたしのあり方

          丁寧に暮らす、ということ

          とりまとめのない文章だけど、残しておきたいので、このまま載せてしまおう。 20代になって好みが変わったのか、手に取りたいと思うものが上質なものになったと感じる。 お洋服1つとっても、多少高くても丁寧に作られたものが好きになった。 昔はデザインが良ければ質には大したこだわりがなかったんだけど、今は質もいいもの、長く使えるものを選びたいと思うようになったというか。質の違いが少しだけ分かるようになったというか。 自分しか見なくても、綺麗なものに触れていたいと感じるようになった

          丁寧に暮らす、ということ

          それって愛じゃん

          foufouの試着会に行ってきた。 foufouというのは、Twitterで流れてきたファッションブランドである。 流れてきたツイートがこちら↓ https://twitter.com/foufou_marl/status/1174303216038662144?s=19 うわあ、すごくかわいい。というのが第一印象だった。 公式SNSの写真や、Instagramで検索してみた着用写真を見て、シンプルなデザインが素敵だな、と思ったし、代表のコウサカさんの文章を読んで、

          それって愛じゃん

          生存報告と短い秋

          久しぶりにnoteを書く。 なんとか「旅する日本語」の応募は間に合わせたのだけど、忙しい日々はわたしから文章を書く、という時間を奪っていた。 最後に長文のnoteを投稿したのが去年のクリスマスだったらしい。気が付けば2019年も10月になる。わたしの暮らす北海道には、短いながら秋が訪れている。風が冷たい。 こんな久々のnoteなので、今年は何をしていたか書いておこう。 1月はテスト勉強やレポートに追われててんてこ舞いな日々を過ごし、2月3月の春休みは人生で初めてのデスク

          生存報告と短い秋

          弔い

          彼の夏休みは、亡くなった祖母を弔う旅だった。 在りし日の祖母が「本当に綺麗だったのよ」と語った、北海道を回る旅。 わたしはそれについていくことになった。 彼の運転で、高速道路ではなく田舎道を走った。彼の祖母が見たであろう、目に飛び込んでくる北海道の大自然の豊かさを噛み締めるように、彼はハンドルを握って、時間を忘れて車を走らせた。 その旅はわたしの思い出の弔いでもあった。かつて住んでいた、もう会えない人たちと思い出を作った街。溢れてくる懐かしい記憶を語りながら、豊かな自然を

          旅する日本語、応募するか迷っている。400字で纏めきる自信がないけれど。

          旅する日本語、応募するか迷っている。400字で纏めきる自信がないけれど。

          思い出日記

          冬が訪れた。 わたしの住む北海道は当然ながら冬が厳しい。短い秋は淡々と過ぎていった。 余震に怯えずに済むようになったし、後期が始まって時間も経った。 大学のキャンパスはいつの間にか色づいて、葉が落ちて、大きなクリスマスツリーのLEDに照らされている。 ハルさんと初めて会った日、講義の終わりが遅くなって慌てたわたしは講義の出席カードを提出し忘れて、ハルさんとふたり、大学に戻った。大雨の中、その日慌てて生協で買った折り畳み傘を差しながら。 今でも大学敷地内を、ここハルさんと

          思い出日記

          美しい髪、書きたいかもなあ。

          美しい髪、書きたいかもなあ。

          好きと依存の違いとは

          友人と通話をしながら、好きと依存は何が違うんだろうね、と話した夜は、3晩ほど前の話だ。 「好きって何?」と友人が言ったので、わたしも思わず考え込んで、女子大生ふたり議論を交わした。 「……相手と話してて楽しかったり、心地よくて安心を覚えたり、そのひとのために頑張ろうと思ったり」 『それは依存じゃないの?』 「じゃ、ないと思う」 「一瞬__くんが現れて混乱したけど、やっぱり__さんが好きだと思った」 『それって全部終わった後に考えたことじゃない?』 「そう、だねえ、何も言

          好きと依存の違いとは

          自分を巡る言葉たち

          振り返れば小さい頃から、文章を読むことも書くことも好きだったように思う。 国語の教科書が配られるや否や全文に目を通していた。色んな場面で書く作文はいつも褒められた。小学4年生の頃には全校集会で生徒たちおよそ500人の前で作文を発表したこともある。小学校6年生の教科書に載っていた、ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』なんかはわたしに多大なる衝撃を残した。今のわたしが詩や短歌を読むようになったのは中学校の教科書で出会った百人一首と石垣りんの詩がきっかけだった。自分の読みたい作風

          自分を巡る言葉たち

          不調と地震と自信

          呆気ない、と思った。 北海道で起こった最大震度7の揺れは、道民に動揺をもたらした。北海道生まれ北海道育ちのわたしにも、同じように降りかかった。 深夜3時の揺れ、それから続いた余震と全道での停電、満点の星空、流通網の麻痺、長引いた停電による電波の停止、色んな品物が手に入らなくなる恐怖。 それを記すのは今ではないし、わたしの脳みそは地震の記憶を飛ばしてしまったので、実はあまり記憶がない。 こうして文章を綴っている最中にも余震がある。背筋が凍りつく。 今週から、新しいバイト

          不調と地震と自信

          noteを書いている間に揺れた。心がざわめいた。背筋が凍った。思った以上に地震が心と体に悪影響をもたらしている。

          noteを書いている間に揺れた。心がざわめいた。背筋が凍った。思った以上に地震が心と体に悪影響をもたらしている。