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「一番やりたいこと」は他人から認められないから、「二番目以降にやりたいこと」を頑張ってしまう。

進路に迷っていた学生のころ、手に取った本には「天職」と「適職」を分けて考えるとよい、と書いてあった(江原啓之さんの本だったような気がする。さだかでないけど)。

「天職」は、生涯続けていく「ライワーク」。これだけは譲れない好きなこと。「適職」は、食いぶちを稼ぐ為の「ライワーク」。得意で、なおかつ好きなことだと成功しやすい。

そうか、それなら私の場合は「小説を書くこと」を天職にして、「図書館で働くこと」を適職にするといいかも、と考えた。小説はすぐにお金にはならないけれど、図書館に勤めていれば非正規だって給料は入ってくる。それに、非正規だったら基本的に残業はないから、小説を書く時間が確保できるんじゃない?

そう思って司書として働き始めたけれど、結局いくら時間があっても小説は書けなかった。仕事を覚えるのに必死で、「一番やりたいこと」だったはずの小説を書くことはおろそかにしてしまったから。

かとうゆかさんが、「一番やりたいことは賛同が得られない」と書いていた。一番やりたいことをしようとしている人は、はたから見ると「崖を飛び降りようとしている無謀な人」に見えるんだそうだ。逆に、「二番目以降にやりたいこと」に取り組んでいる人は賛同を得やすい。こちらははたから見ると、「高い山の山頂を目指す人に見える。

だから、多くの人は他者から褒めてもらいやすい「二番目以降にやりたいこと」を中心に生きていて、一番やりたかったことは「なかったこと」にしてしまう。

「二番目以降にやりたいこと」は成功しやすい。自分もわりかし好きで、しかも他者から求められている得意なことだから。だけど、二番目以降にやりたいことで成功しても、自分の満足は得られない

私はそのドツボにはまったのだと思う。図書館司書から発展して「図書館コンサルタント」になり、年収は3倍くらいになって会社の役員にもなったけれど、最後には鬱(うつ)になった。どんな仕事をしていても、小説を書くという一番やりたいことをする時間を自分に与えていれば、そんなことにはならなかったかもしれない。でももう、そんなことは言ってられないくらいワーカーホリックになっていたのだ。

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