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(十一)夢の中にはもうひとつの幻想がある

過去に大量虐殺事件があった小中一貫校に取材に来ている。
その学校は私立で、偏差値から見ればかなり優秀な生徒ばかりが集まって来ているが、夜学の男子校である。
なんらかの事情で昼間は通学できない生徒たちが通っているのだ。


事件が起きたのはちょうど五年前の今頃だった。
この学校の卒業生だという、十八になったばかりの青年が刃物を持って乱入した。
無差別に、手当たり次第に刺しまくったという。死傷者は二十一名。

亡くなったのは、今日メインで取材をする生徒の兄と、止めに入ろうとした四十代の男性教師、そして一番最初の被害者となった当時八才の生徒だった。


取材予定の彼は十四才。事件当時は九才だった。
彼は腹を複数回刺されて血まみれになりながらも、犯人に頭突きをくらわせて脳しんとうを起こさせ、気絶したところを数十回殴った。犯人は搬送された病院で死亡が確認された。正当防衛だった。

彼自身は小柄の痩せ型で、たいして力もありそうもない。
十四才になった今も、伸長は一五〇センチに届かない。

「夢中だったんです。僕にもどうしてそんな力が出せたのか、よくわかりません」
黒い瞳は大きく、ボリュームのある髪をしている。制服の赤い棒タイがよく似合う。
とても丁寧に受け答える。静かに話す子だと思った。


彼を紹介してくれたの、犯罪心理の研究をしている教授で、事件以来この学校を研究対象にしていた。
「とても真面目な生徒で、取材慣れしているから」と言っていたが、本当にその通りだと思った。

一通り事件当時の話を聞くと、刺された腹の傷を見せてくれると言った。
「みんなのいるところでは、ちょっと」
と、理科実験準備室へ案内される。
彼の親しい友人だという生徒が二人ついてきた。
どちらも、彼の倍くらいは体重がありそうな、がっしりした体つきをしている。


部屋の照明は点けず、巨大な水槽を照らす明かりだけでシャツのボタンを外して見せる。
縫合された傷口はミミズが絡まり合うように、くっきりと残っていた。


「さて、僕のは見せたんだから、記者さんの身体も見せてくださいよ」
丁寧な口調はそのままだが、顔つきが明らかに変わっていた。
体格の良い生徒を伴ってきていた意味をようやく私は理解する。


それはまた今度にしましょう、と言って、彼が手を伸ばすよりも先に部屋を出た。
渡り廊下を抜けて外の通路に出る。
彼らは後をついては来たが、無理やり追いつこうとはしなかった。
夜とはいえ、どこで誰が見ているかわからない。


取材用にと交換したLINEには、ひっきりなしに通知が来るようになった。
このまま逃げられると思うなよ、と、取材中の彼の印象とはまったく違う乱暴な言葉が細切れに続く。
私は教授に二回目の面会を申し込むかどうか迷っていた。
女性記者ばかりを紹介するところを見ると、教授もグルなのかもしれない。


暗い実験準備室で、でも私は恐怖は感じなかった。
碧色のライトに照らされた彼の薄い胸板、その腹にくっきりと残る傷痕に、指を這わせてみたいと思ったのは確かなのだ。

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