Apple Watchは手枷か、それとも魔法の腕輪か。

初代Apple Watchが国内で発売開始された日、まっさきに予約をした。当時、呼吸と同じくらいひっきりなしに仕事関係のメールやメッセージが届いていた。iPhoneだけだと通知を見逃してしまいそうで不安で仕方なかったのだ。Apple Watchさえあれば、何かしら連絡が届いたことが瞬時にわかる。そんな素晴らしいことはないと思った。

もともと、手紙やメールに関してはものすごく筆無精だ。学生の頃、付き合い始めた彼氏から届いた「今なにしてるの?」のメールを丸一日放っておいて怒られたことがある。3日に一度くらいしかメールチェックしていなかったのだ。LINEでのコミュニケーションが必須の時代に学生じゃなくてほんとによかった。きっと「既読すらしないスルー」を連発してあきれられただろう。

仕事でメールやメッセンジャーを使うようになって、そんな悠長なことはできなくなった。うかうかしていると、テトリスのように受信箱が一杯になる。

まるで自分に科した手錠のようにApple Watchをはめて、無理やり自分を仕事に向かわせていたのだろう。うつ病を発症して仕事を辞めたとき、「メールもメッセージも届かない環境で休んだほうがいいよ」「せめてApple Watchは外したらどうかな」と複数の友人から指摘された。

それでも、初代Apple Watchを買ったあの日から、毎日かかさず身につけ続けて今に至る。さらにこの1月には、Series4に買い換えた。たぶん私は、このウェアラブル(身につけられる)なガジェットが、たまらなく好きなのだろう。

最初はメールとメッセージの通知機能を求めて購入したApple Watchだけど、今はほとんど通知をオフにして使っている。身につけていると「何がそんなに便利なの?」と不思議がられる。

便利……というのとは少し違うかもしれない。ただ単純に、面白いのだ。たとえば、衛星「ひまわり」から送られてくる日本上空の様子が手首の上でリアルタイムで見られることとか、天気と気温の移り変わりがグラフですぐに見えることとか。運動すると元気になるモンスターが文字盤に現れたり寝落ちした時間と目覚めた時間を自動的に記録してくれたり

もはや、天気と健康を面白がるためだけに装着していると言っても過言ではない。そうするとこの進化した腕時計は、地球と(ときには天体と)自分の体とを結びつける魔法の腕輪のような気がしてくるのだ。

Apple Watchの売り上げは、すでにiPodの総売上数を超えたそうだ(参考:AppleWatch Series4が牽引!Appleの売上で「ウェアラブル」を含むカテゴリーがiPadを超え、Macに迫る売上を記録 - Apple Watch Journal)。高額で大画面のiPhoneに乗り換える人よりも、新しい「身につけられる」タイプのデバイスに人々の関心は移っていくのかもしれない。

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