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手作りおにぎりとセックス

私は手作りおにぎりが苦手だ。
専門店のものやコンビニものは食べられる。
ちょっとお高目な専門店のものはたまに食べたいな、と思うほどだけど誰が作ったのかわからないものは絶対に食べられない。
友達のお母さん(会った事はない)とかも無理。
料理が上手じゃない友達がつくったものもできれば食べたくない。
子どもたちの集まりで出るおにぎりなんてもってのほかだ。
ちゃんとポリエチレン手袋をして衛生的に気を付けてる、とかでも。
作ってくれた人に失礼だ、なんて百も承知だけれど無理なものは無理なのだ。
私は潔癖症ではないけれど、そもそも誰かが作ったものを食べること自体あんまり得意ではないんだと思う。
プロの人ならよいのだけど、こだわりが全然ない人の料理を食べるのは拷問だとすら思っている。

私はセックスが苦手だ。
セックス以前に誰かに触れられること自体がものすごく苦手だ。男女問わず、私は友人に触れることはまずない。気軽なボディタッチ、なんて皆無だ。
でも仕事柄、私は男性と二人で食事をすることが多い。仕事関係の人を異性として見ることはまずないから少し肩が触れる、握手する、なんてことがあっても気にしないようにしている。げぇーと思っていても。

でも相手から「あなたを性的な目で見ている」というアプローチがあった時点でアウトだ。私は私がセックスしたい相手以外から性的な目で見られること自体ものすごく苦手なのだ。ましては触れられるのは完全アウトだ。

だから手作りおにぎりとセックスは私にとってとても近しい存在だ。
自分が大丈夫な境界線が明確にあって、そこから少しでも超えたものは生理的に無理なのだ。ある種の恐怖すら感じるほどだ。
けれど同時に境界線の中にいる手作りおにぎりもセックスも私はとても愛している。
自分が自分の好みの固さに焚き上げた炊き立てごはんのおにぎりも大切な人と親密な時間の中で行うセックスも。

そこでひとつ問題がある。
この話を人にすると、手作りおにぎりは正しく理解してもらえるのだがセックスは大抵「身持ちが固いんだね」とか「貞操観念がしっかりしてる」とかなんだかよくわからない方向で理解が進んでいくのだ。

正直私は貞操観念がしっかりしている、なんて全くない人間だ。
子どもにも周囲の人間にも誰かの迷惑になること、法を犯すこと以外は自分の好きに生きればいい、といつも言っているし、浮気だなんだの境界線とかもよくわからない。
人の気持ちなんて誰かが変えられるものじゃない、誰かを好きになる情熱はものすごく素敵な事だと思う。

私の勝手な持論なのだが、誰が作ったおにぎりでも躊躇なく食べれる人は相手の事を深く知らなくてもセックスできる人が多い気がする。
あくまで私の身近な統計なのだけれど、彼らには悲壮感など全くなく「おいしそうなおにぎりじゃん」とか「どんなセックスするか興味あったから」とかなんだかとんでもなく軽やかに向こう側に行ける人たち。

私は今日も手作りおにぎりさえ食べられる側の人間であれば…と思ってしまっている。
境界線の向こう側にもひるまずどんどこ歩いて行ける人であれば
私の人生も随分と違ったものなのではないか…と
そんな軽やかな自分を妄想をしては今日も自分のこだわりの固さでご飯を炊いているのだ。


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