仕事の内容より、職場の価値観が合うかどうかが大事だと思う

私は就職して5年目になるが、今いる部署は3部署目だ。
先日、最初にいた部署の後輩たちと飲む機会があった。

ひとりひとりは嫌いじゃない。むしろ、それぞれのよいところをいくつか言えるくらいだ。
でも私は、「このコミュニティが好きじゃない」ことを、改めて思い知らされたのだった。

その部署は、企画制作が花形である私の会社の中では傍流で、むしろ「そんな配属もあったのか」と驚かれる部署だ。
とはいえ、ほかの会社でも、どこにでもある部署なのだが…。
うちの会社、うちの業界では、とかくスポットがあたらないのである。

そのせいなのか何なのか、配属された新人をみんなで”慰める”という建付けの会が、若手の中で例年催されている。
私自身、その配属になったとき、正直言うとそれほど嫌ではなかったのだが、志望していた職種が企画制作系だったので、それと真逆の”堅いお仕事”は”かわいそう”らしい。
そういう風潮なので、言い返すのが面倒で「ほんとうに残念です」と吹聴していたが、本当に残念だったのは、職種じたいではなく、そこにいる人間のカラーだった。

私は仕事に誇りを持って働きたかったから、今の会社に入った。
体を壊したら元も子もないので、残業が多すぎることは玉に瑕だと思っていたが、「仕事が好きな人」が多そうだというところに魅力を感じたのだ。
だから、はっきり言って職種はどうでもよかったし、実際その部署の仕事もなければならないものだったので、結構楽しくやっていた。

けれど、その部署で重用されるのは、信念よりも目先の器用さのある若者だった。
真心よりもうわべの愛想、
長期的視点よりも手離れの良さ、
「強制されないが確実に存在している空気」を読んで立ち回れる気働き。
そういうものが求められていた。
こういった器用さを持つ子が後輩には多いのだが、彼らはそれこそが正しいのだと、さらにその下の子に吹聴する。
しかも、それができない人を、先輩後輩問わずこき下ろす。
先述の”配属を慰める会”は、まさにそういう「常識」を新人に植え付ける場と化していた。

求められていることがそれである以上、彼らの言うことは正しいと思うし、それができる彼らはとても優秀だと思う。実際、仕事もよくできると言われている子たちだ。
でも、上司を気持ちよくさせるための彼らの言葉は空虚で、そんな言葉で喜んでいる方も、どうかしているようにしか思えない。
まだ若いのに、後輩たちの飲み会は、先輩が言った”面白いこと”を後輩がはやし立てるという流れに終始していて、さながらおっさんサラリーマンの飲み会のようだ。
昔から、「乗るべき波」のようなものに皆がこぞって乗っていく、あの感じが大の苦手だった。だから一人一人のことは好きでも、コミュニティの一員としては、結局馴染めずに終わったのだと思う。
(ちなみに、この”器用な若者”は、ほぼ全員が男だ。女は今のところ、なじめたのが1人くらいしかいない。この部署で一番力を持っている人は女性なのだが、この人の考える理想の部下像が昭和の男性上司そのものだという「ねじれ」が、若者のふるまいを複雑化させているのだと思っている)

おそらく、こういう職場はほかにもたくさんあるのだと思うし、今の部署にも、”空気”が全くないわけではない。
けれど、仕事をするうえで「これだけは自分に合っていると思えなければ続けられない」と思うことが、ちゃんと合っているように感じている。
それは、「仕事ができる」ということの定義だ。
最初にいた部署における「仕事ができる」の定義は、「上司を気持ちよくさせつつ、手離れよく仕事をする」ことだった。前半の仕事観に納得できないうえ、一つ一つ深く掘り下げてしまうタイプの私にとって、そこはとても息苦しいものだった。
今ももちろん、すべてのことに手をかけることはできないが、研究職なので、一つ一つのことをほかのどの部署よりも深く追求できる。
そして、今の部署における「仕事ができる」の定義は、「社会に対してどれだけ斬新で、かつ納得感のある切り口を提案できるか」だ。
もちろん、上司の好かれたほうが良いのは当然だ。けれどそれ以上に、社会に響くことを言えた者が最終的には勝つ。そういう仕組みだ。
これはとってもシンプルで、「そうだよな」と思えるので、私にとってこれ以上ない環境を与えてもらったように思う。

何事も後ろ向きなのが嫌いなたちで、最初の部署のこともなんとかプラスに解釈しようとしていたが、今更ながら「やっぱり合っていなかった」のだろう。今、納得のできる価値観の中で働けているだけに、強くそう感じる。
仕事の中身より、価値観が合っているかどうかを基準に、職場を選ぶこと。そして、合う場所に行けた暁には結果を出すこと。これはたぶん、とても大事なことだ。
偉そうなことを言ったが、私はまだ、まともな成果を残せていない。
自分が正しいと思うことを、胸を張って正しいと言えるようになるために、
明日からまた頑張ろうと思う。

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