気付けば年末なので、今年を振り返る

いつもだとこの時期は、いろいろ思い出すことがあって、落ち込みがちでしたが、今年はとても安定しています。
今年は、自分都合で決断する、というごく当たり前なことが、板についた年でした。
自分の感情を認識するというのは、辛い記憶の多い私には、かなりしんどい作業ではありましたが、怒ったり笑ったり泣いたりしながらのそんな工程を経て、より自分を知ったり、自分への信頼を深めたりすることができました。

(私にとって)良い意味で、「諦念」が実践できたのも、今年のことでした。
過剰な執念と努力で達成するという態度を止め、関わる人々を満足させるというのを諦め、同時に周りにも私を諦めてもらうことにしました。

ACEスコアについて読みかじったのも、効果的でした。スコア10分の4の人達は、ゼロの人達と比較すると、平均して寿命が20年ほど短いそうです。
10分の9、もう少しで満点という私の寿命は、もうそんなに長くない可能性もあって(意外と長生きする可能性も捨てきれませんが、、)。
そうなると、生きている間、最後くらいは、自分の好きに生きてみたいと思うし、ゴールは近いのかも思うと、自死を選ぶまでもなく、割と近いタイミングで自然とお迎えが来るんじゃないかと、楽観的な気持ちになったりします。

人生を四季に例える人がいます。
思春期というくらいだから、十代までは春なのでしょうか。夏は二十代から三十代、四十代は初秋?最近は寿命も長いし、秋冬は、もっと先なのかもしれませんね。

私的には、ちょうど今の季節のような。紅葉が終わり、冬の時期にさしかかっているような気分です。そこまで老成しなくても、という気持ちもありますが、これは今の正直な感覚です(また変わるかも知れませんが)。

私の好きな山村暮鳥という詩人は、40歳で召されていきましたが、彼の書いた『雲』の序文がすごくしっくりくるし、響いてくるんですよね。

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一生とは、こんな短いものだらうか。これでよいのか。だが、それだからいのちは貴いのであらう。
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何よりもよい生活のことである。寂しくともくるしくともそのよい生活を生かすためには、お互ひ、精進々々の事。
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ご興味持たれましたら、全文はこちらで読めます。


終わりが見えて悲観するのでなく、終わりが見えるからこそ、自分の位置や大切なことが分かってきて、その上で、今できることを日々積み重ねるというのが、最近の私の感覚にぴったりきています。


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noteで出会えた皆さま、特に、トラウマを乗り越えご自身と繋がり生きている皆さまの記事に、勝手に励まされています。
ここに来ると、時に、実生活での関わり以上に、安心できることすらあります。心の深い部分に傷を持っている者同士しか分かり合えないものが根底にある気がするのと、ある人は当たり前に与えられるものを持っていないことに対してジャッジをされない、というのが大きい気がしています。

皆々様、どうぞ良いお年をお迎えください。
来年が、より良い年となりますように。

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