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【MLB】スポットライトMLB 〜 日本出身の外国人メジャーリーガーたち 〜


皆さんこんにちは!

今回のnoteでは、タイトルにも書いている通り日本出身(生まれ)で日本国籍を保持しない外国人の歴代メジャーリーガーを紹介します。

これまでイチロー選手や大谷翔平選手など多くの日本人選手がメジャーリーグでプレーしているのは多くの人がご存知ですが、彼ら以外にも外国人ではありますが同じく日本出身の選手は数人います。

今回のnoteでは、普段メディアでは中々取り上げられない彼らにスポットライトを当てて紹介したいと思います!


(日本出身の外国人メジャーリーガー紹介)

⚠️今回のnote記事で使用する日本出身の定義は、日本で出生したという経歴になります。MLB公式サイトやWikipediaの日本出身メジャーリーガーのページ、MLBの大手データサイトbaseball referenceで使用されている定義を使用します。またマイケル中村(元日ハムなど)のような日本国籍と外国籍を両方保持する選手は、今回外しています。


ボビー・フェンウィック

日本人&日本出身初のメジャーリーガーの村上雅則さんに次ぐ、MLB史上2人目の日本出身メジャーリーガーであり、野手では史上初めての日本出身メジャーリーガー。

日本人としての最初の野手メジャーリーガーはイチローさんですが、"日本出身“という定義になるとフェンウィックが最初の選手となります。

フェンウィックは1946年12月10日に太平洋戦争終戦後アメリカ占領下だった沖縄県那覇市で生まれました。父はアメリカ海軍の衛生兵で、母はハワイ生まれの日系人。

出生後アメリカへ帰国した彼は、幼少時代からプロ入りするまでミネソタ州で育ち、MLBでは2年間内野のユーティリティとしてプレー。主に守備固めの役割を務め、1972年にアストロズで36試合出場、1973年にはカージナルスで5試合に出場しました。

スティーブ・チットレン

大学時代センセーショナルな活躍を見せ、MLBでは史上3人目の日本出身選手となった救援投手

チットレンは1967年6月8日に日本の東京で出生し、アメリカで育ちました。ちなみに大学時代は、名門スタンフォード大学でクローザーとしてカレッジワールドシリーズで投げるなど大活躍。またシーズン&通算での大学最多セーブ記録を保持しています。

1989年のドラフトでアスレチックスから6巡目で指名され入団。90年にメジャーデビューを果たしました。91年には中継ぎ陣の一角としてチーム3位の56試合に登板しました。92年以降はMLBで1度も登板できずマイナー暮らしとなり、95年に独立リーグでプレーし引退しました。

ジム・ボウイ

9年間の長いマイナー暮しを経て、メジャーリーガーとなった一塁手。

ボウイは1965年2月17日に東京で出生し、帰国後カリフォルニア州で育ちました。父はアメリカ空軍の人で、母は日本人。彼は日系二世の選手であります。

1986年のドラフト12巡目でマリナーズから指名され入団。マイナーリーグ時代は勝負強い打撃で活躍し、シーズン本塁打は15本が最多だったものの、100打点を2回記録。1994年にはアスレチックスで彼の念願だったメジャーデビューを果たし、6試合に出場しました。

MLBでのキャリアは94年の1年限りに終わり、95年はメキシカン・リーグでプレー。96年にマイナーでプレーし現役引退しました。

ジェフ・マカリー

メジャー通算111登板を記録した、身長201cmの高身長救援投手

マカリーは1970年1月21日に東京で出生しました。父はアメリカ空軍のキャプテンで、母もアメリカ人。夫婦が日本に駐在していたときにマカリーは生まれました。帰国後テキサス州で育った彼は、1990年のドラフトでパイレーツから14巡目で指名され入団。野茂英雄がメジャーデビューを果たした1995年5月2日の4日後5月6日に、マカリーはメジャーデビューを果たします。

そしてその年は救援投手として55登板,防御率5.05を記録。タイガースに移籍した96年は2登板,防御率24.30に終わりますが、ロッキーズに移籍した97年は33登板,防御率4.43を記録。98年はパイレーツに戻り16登板,防御率6.52、99年はアストロズで5登板,防御率15.75を記録し、野球選手としてのキャリアはこの年をもって終わりとなりした。

キース・マクドナルド

わずか8試合と少なく短いメジャーリーグキャリアながら、その期間で大きなインパクトを残す活躍を見せた選手。

マクドナルドは1973年2月8日に横須賀で出生しました。父が横須賀基地に駐在していた時に出生しました。帰国後カリフォルニア州で育ち、1994年のドラフトでカージナルスから24巡目で指名され入団。その後7年間のマイナー暮しを経て、2000年に27歳でメジャーデビュー。

そして彼はメジャーデビュー後すぐにMLBで大きなインパクトを残します。7月4日のデビュー戦で初打席初本塁打を記録。MLBで2回目の打席となった7月6日にも本塁打を放ちます。初打席から2打席連続で本塁打を放ったのは、1951年のボブ・ニーマン以来MLB史上2人目の快挙です。また彼は後に1本塁打を放ち、この年3本塁打を記録してますが、その全てがMLBで記録したヒットです。MLBでの通算安打数が3本以上で、その全てが本塁打なのはMLBの歴史でマクドナルドただ1人です。

メジャーデビューの年となった2000年は6試合の出場で3本塁打(3安打),5打点,OPS2.270を記録し大きなインパクトを残す活躍を見せたマクドナルドですが、翌年2001年は2試合の出場で無安打に終わり、翌年からはマイナー暮らしとなり、彼のメジャーリーグキャリアはわずか2年(8試合)で終了しました。

ちなみに彼の現役時代のポジションはキャッチャー。日本人選手では城島健司選手が現在唯一の捕手メジャーリーガーとなりますが、"日本出身“という括りになるとマクドナルドも含まれます。

クレイグ・ハウス

MLBとマイナーリーグで中継ぎ一筋でプレーした投手。

ハウスは1977年7月8日に沖縄の那覇にある空軍基地で出生。父はアメリカ空軍の軍人で、母はアメリカ人です。帰国後テネシー州で育ち、高校と大学は同州のメンフィスにある学校でプレーしました。

ドラフトではなく過去3回指名され、1999年のドラフトでロッキーズから12巡目で指名され入団。マイナーで結果を残し、翌年2000年には22歳の若さでメジャーデビューを果たします。デビュー戦でいきなり1回3奪三振の快投で才能の片鱗を見せ、この年は防御率7.24だったものの16登板と経験を積みました。しかし翌年以降は怪我やマイナーで結果を残せなかったこともあり、MLBでプレーすることはありませんでした。

スティーブン・ランドルフ

baseball referenceではSteve(スティーブ)表記です

NPBの横浜ベイスターズで3年間のプレー経験かある沖縄出身のアメリカ人投手。

「えっ?この選手沖縄出身だったの!?」と、彼の選手名鑑のプロフィールを初めて見たときにそう思った記憶がある人はきっと多いと思います。

ランドルフは父がアメリカ空軍の軍人であり、1974年5月1日に沖縄の嘉手納基地の敷地内にある病院で出生しております。その後彼が1歳の時に一家はアメリカへ帰国。

2003年にダイヤモンドバックスでメジャーデビューし中継ぎとして50試合に登板し防御率4.05、さらに勝ち星に恵まれ8勝をマーク。04年は45登板、アストロズに移籍した07年は14登板を記録しました。

09年7月には横浜ベイスターズと契約し、8月16日に初登板、いきなり外国人投手としては史上初の初登板初打席初本塁打を記録。また9月15日の試合では、先発投手ライアン・グリンに変わって1回1アウトから中継ぎ登板し、残りの8.2回を無失点に抑え毎回の15奪三振を記録。この1試合15奪三振はNPBの外国人投手では史上最多タイ記録であり、リリーフ登板した投手のNPB最多奪三振記録でもあります。

いきなりNPB記録を3つも作ったランドルフの09年は8登板(7先発)で5勝,防御率1.96,奪三振率は9.65を記録し、暗黒時代真っ只中だったベイスターズの救世主的存在になりました。翌10年は防御率4.25で2勝9敗と成績こそ落としましたが、先発で16登板しローテを支えました。11年は開幕時は無所属でしたが5月に横浜へ再入団、しかしわずか1ヶ月後に契約解除となりました。

デーブ・ロバーツ

選手時代
監督時代

ご存知ロサンゼルス・ドジャースの現監督。MLB史上初の日本出身監督であり、ワールドシリーズ優勝を果たした初の日本出身監督です。

ロバーツは1972年5月31日に沖縄県那覇市で出生しました。父は日本駐留のアメリカ軍の軍人で、母は日本人です。一家は多くの基地を移動し、最終的に一家はサンディエゴに落ち着き、ロバーツはサンディエゴで育ちました。ちなみに大学時代は名門UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で過ごし、プロ入り後の95年に歴史学の学士号を取得してUCLAを卒業しています。

ロバーツのMLBのキャリアは10年、外野のレギュラーや代走要員の選手として832試合に出場し、通算243盗塁を記録するなど活躍。幼少時代を過ごした地元パドレスに所属した06年にはキャリアで唯一の規定打席に到達し自己最多の49盗塁、パドレスの球団記録の13三塁打をマークしました。

またレッドソックス時代の04年には、ヤンキースとのポストシーズン(ALCS)でシリーズ0勝3敗と追い込まれるも、第4戦の9回1点ビハインドの展開でロバーツが代走で出場し絶体絶命の場面で盗塁に成功、後にレッドソックスはこの試合に勝ちその後ヤンキースに4連勝しワールドシリーズ進出、その勢いのままワールドシリーズも優勝し、このロバーツの盗塁は世紀の名シーンとして現在も語られています。

引退してからはパドレスでコーチを務め、2015年6月15日には前日解任されたブラック監督(現ロッキーズ監督)の代理監督に就任、これによりMLB史上初の日本出身監督として歴史に残しました。

2016年からはドジャースの監督に就任。チームがずっと圧倒的な巨大戦力であり、在任期間の7年中7回もポストシーズン進出するも、ワールドシリーズ制覇が1回しかなかったという影響で、ドジャースファンの人達からはその手腕を批判されることがありますが、昨年までの7年間で通算653勝380敗,勝率.632とレギュラーシーズンで圧倒的な結果を残しています。

(終わりに)

今回のnoteで紹介したメジャーリーガーの選手以外にも、今大会のWBCに日本代表として出場予定のラーズ・ヌートバー選手の兄で元マイナー投手のナイジェル・ヌートバーや、元中日ドラゴンズで韓国球界のレジェンドのイ・ジョンボムさんを父に持つ韓国球界屈指の若手スター選手イ・ジョンフ(名古屋生まれ)など、他に日本で生まれたの外国人選手は多くいます。

少し話が変わりますが、近年の世界の野球界は国際化がますます進んでおり、ヌートバーのように親の出身国やルーツを持つ国でWBCに出場する選手も実際多いです。彼らのルーツを知ることは、野球や色々なことへの価値観を広げてくれる意味合いであるものだと私は思います。

今後私のnoteでは、MLBで中々注目されないことについて、スポットライトを当てて紹介する記事をどんどん書いていこうかなと思っておりますので、また次の記事でも皆さんよろしくお願いします!

では、ごきげんよう👋 Thank you!

(画像:ヘッダー)
https://www.japantimes.co.jp/sports/2017/03/20/baseball/dodgers-beat-japan-wbc-tune/

(画像:選手プロフィール)
https://www.baseball-reference.com/