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いのちとえとせとら。

いいとか、悪いとかじゃない。

人は命を操れるレベルにきている。

それは、生死を決めるのか、生きたものをどう化粧するのか、程度は色々あれど。

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殺人と言ってしまえば過激だとは思うが人は普通に生まれるはずの命を無かったものにすることは可能だ。

たった十万~二十万円程度で。

そのことへの是非を問われればどう答えるかは人それぞれだが、ある程度の年齢になると不妊に悩む人も出てくる頃で簡単に命を捨てることへの賛同はしにくいのが現実だ。

とはいえ、正直、生まれてくることのほうが過酷な環境というのは山のようにあって、それは覚悟とか決意とかそういう精神論だけでどうにかなるような問題ではない。

きれいごとだけ言っていて生きていけるのなら、きっと誰もいのちを捨てたりはしないだろう。

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ニュースで幼い子供がいのちを落とす、それも実の親かもしくは親のパートナーによって、という事件が流れる度に眉をしかめ、訳知り顔で『こんな酷いことができるなんて人間とは思えない』なんて言う人もいるけれど、人間ほど残虐な生物はこの世にいない。

そのことが、そのコメントを発する瞬間はその人の頭の中から抜け落ちているのか、そもそもそんなことは毛頭ないのか。

どんな生物が快楽のために何かを殺すだろうか。生きるために食べるとは異なる、楽しむための食。

私も食事が好きな人間である。だから、この世から美味しい牛や柔らかいチキンや新鮮な魚がいなくなっては困ってしまう。お酒が大好きな私はビールにはこれ、ワインにはこれ、日本酒ならこれ、とたくさんの命を頂いてきた。

生きるためではなく、単純に楽しむためにたくさんの命を奪ってきたのは否定できない。

それでもまだ”食べる“という行為はいのちを落とす存続させるために必要である。

快楽のための命と最たるものが、ペットではないだろうか。

ただ癒やしがほしいからと犬を飼い、猫を飼い、うさぎを飼い、ハムスターを飼う。これを「飼う」と思っているならまだしもで、「買う」と思っているひとは多いのではないだろうか。

誤解のないように言っておくと、私は小さい頃からペットを飼ってきた人間である。保護犬ではなく、普通にペットショップで命を買ったのは紛れのない事実である。

そんな私は、お家時間が増えたからといって、安易にペットを飼う人が多すぎて私は怖い。

誰もがコロナが落ち着くこと=マスク無しで外出を楽しめる毎日をのぞんでいるにも関わらず、ずっとお家時間が長い毎日が続くことを前提として命を飼う。

こんなご時世だからこそ飼育する人は、果たしてこんな世の中じゃなければ命を飼っただろうか。普通に夜も外に行ける毎日が戻ってきたときに、しっかりとそれでもまっすぐに家に帰ってきて、自分の愛するべき存在をしっかりと愛し続けることはできるのだろうか。

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我が家にもわんこがいる。

かわいくて、人懐こくて、私が家にいるときは本当にずっと近くにいる。人が留守のときには寝室で人間用のベッドで寝ているにも関わらず、人間が家にいると一緒にリビングで寝る。

休みの日だろうが構わず、自分が寝始めてから5〜6時間が経つと必ず飼い主である私を起こしにくる。基本的には0時に就寝するのが我が家の慣例なので5〜6時にお越しにくるのは遅刻防止という意味で大変助かる。だけど、ちょっと疲れて10時だったり11時にベッドに入ると4時頃にお越しにきて大変だ。

毛布も布団も剥がしにきて、ひたすら顔をペロペロしてきて、ちょっと唸ったり軽く吠えたりしたりと、せっかくの休日の朝寝坊の機会を全力で奪いにくる。

そんな全力の”僕にかまってよ”が最高にかわいい。

電気コードをかじるのが大好きなうちのワンコは、通電していたら危ないだろうに、携帯の充電コードやヒーターのコードを引っ張る。引っ張るだけならまだしも、噛みちぎる。

手に入れた念願のマイホーム。(まあ、中古マンションではあるけれど。)新居に引っ越してきてすぐにお風呂のゴムパッキンを噛みちぎる。2ヶ月も経たないうちに寝室の壁のクロスをほじる、穴をあける。

イケナイことはイケナイと怒ったところで、犬には犬の理屈があり、人間の都合なんか理解してくれない。なんとなく、これはいたずらと認識されるということはわかってくれていても、自分がやりたいように生きていく。

そんな彼を私は最高に愛している。我が家で一番、美容室のお金がかかるのは夫でも私でもなく、間違いなくワンコ。滅多に体を壊さない私なんかよりも定期的な予防注射はもちろん、ちょっと体調を崩したときの病院代は凄まじいのがワンコ。

人間と違って、言葉では自分の不調を訴えられないわんこだからこそ、ぱっと見元気にみえても、少しでも不調があれば病院に向かう。

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何が言いたいかと言うと、そういうところの費用をどこまで払えるかをしっかりと念頭において命を飼ってほしいのだ。

いや、お金だけではなくて。

たっぷりの時間をその愛らしいペットにかけることをどんな世の中になっても厭わずにやれるかどうか、何度も何度も心のなかに問いかけて100%、yesと言える人だけがペットを飼う資格があるはずだ。

飼う、というから人間が上だと誤解して思うのかもしれない。

本当は共に育つのだ。

共に生きるのだ。

その認識を誤ってはいけない。

決して人間がうえなのではない。ただ頭がよくなりすぎた人間たちが、自分の趣味嗜好のためだけにたくさんの命をもてあそんでいることを真面目に考えて欲しい。


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