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8.自覚すること

大人の社会は、本当のことを明らかにしてはいけない。周囲の空気を読んで、適当なところで合わせておくのがいいね。たとえば自分の人生観と照らし合わせて、どうしても相容れない価値観に遭遇したりする。もし相手が多数派なら、自分の考えを明らかにすることなくその場をそっと離れればいい。他人を説得するのは疲れるだけだ。ゆるやかに、なんとなく。無難に付き合う対人関係の作法。そんなものを身につけておいたら、それはそれは生きやすくなるだろう。ほとんどの人は、本当のことなんか求めていない。嘘でもいいから、適度に心地いい、ぬるま湯に浸かっている様な状態が望みだ。本当のことに対峙するほどの勇気も気概も持ち合わせていない。決断もしない。結論も求めない。本物を追求したところで、得られるものは些細なものだ。それらしいことが出来ていれば、十分幸せなのだ。

だから覚えておいて欲しい。暴いてはいけない。批判してはいけない。人々を覚醒させようなんて、考えてはいけない。そんなことをすれば、ただただ苦しいだけの茨道が待っている。多くの人は命を懸けてまっとうしようなどとは考えていない。本物を作り上げようなんて考えていない。それらしく体裁が整っていれば、もうそれで完成なのだ。
凄すぎるものを前にすると、自分のダメさばかりが際立って辛くなる。だからけっして本物なんかを求めないのだ。無難に、それらしく人生が進み、無事に終わればそれでいい。

と、こんな世の中になったら嫌だな。
完全に終わってるよね。

ん?
じゃ、もしかしたら終わってるのか?

電話一本。2万も出せば、偽りの愛をレンタルすることもできる。それで満足なら人生は楽なもんだ。

さて君は、どうする?
歩き方は自分自身で見極めて欲しい。世の中は、君が出したどんな結論も受け入れてくれる。というか、君がどの様な人生観で生きているのかなんて、親以外、誰も興味はない。だから歩き方は、君自身の満足感のために決めればいい。人が一人、生きていようが死んでしまおうが、世の中的には何の影響もない。だから、なおさら自分自身が納得していない生き方に意味はない。そこだけは忘れずにいてほしい。

もっとも、そう簡単に生き方なんて決まらないだろう。やってみたり、やめたり。フラフラと定まらない時期を過ごすこともあるだろう。それもいい。人からの苦言など聞いたフリでもしておけばいい。気にすることはない。そして時々チャンスがやってくる。悶々と手探りで流されているときに、なにかピンと来る出会いがあったりするものだ。それを逃さずグッと引き寄せるのだ。当たりかどうかはわからない。自分の勘を信じるしかない。勘の精度を上げるには、知識と経験。本を読み、他人の経験をまるで自分事のように取り込んでみるのもいいだろう。ピンと来たときのピンが、どの程度の信憑性かは、それなりの準備をしておかなければ見抜けない。したたかに生きよ。情報化社会は、主体性を意図しなければ簡単に流されてしまう。流されるだけの人生は退屈だ。流れを生み出すとまでいかないまでも、少なくとも自分の意志で流れに乗ってみるというのがいい。なぜ自分は、その道を歩いているのかを常に自らに問い続ける。それだけで、かなり人生は面白くなる。そう、自覚するのだ。理由もわからず、周りがみんなやっているからやっておこう。これが、一番面白くない。自分が生きているということをしっかり見届けること。それこそが生きているということだと思う。

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