大なわとびに入る勇気
すでに出来上がっている輪の中へ飛び込むのにめちゃくちゃ緊張する。
というか、そこに至る前の時点で萎縮してしまうことも多い。ある人と今度飲みましょう〜と個人的に話していたとして、4人ぐらいまでは許容範囲なのだけれど、それ以上増えると憂鬱になってしまい「行きたくない」気持ちが芽生える。
小学生の頃、大なわとびという遊びが苦手だった。長いヒモをグルングルン回して、みんなで順番に飛んでいくアレ。
運動が不得意だったという理由もあるが、あの遊びって失敗したらどうしようという緊張感がものすごい。
5人、6人とうまく回っているのに、自分が入ったことで台無しにしてしまう可能性を考えると心がギュウっとなってしまう。「あいつが入らなければ」そう思う人もいるかもしれない。怖い。
外側から見ているぶんにはとても楽しそうだ。仲間になりたいなと思う。一緒に飛んでみたいって。なのに、その勇気が出ない。
Twitterやnoteをやっていても、ときどき同じようなことを感じる。ポポポンと会話が繰り広げられていて、私自身にも考えがあったりすると、コメントを残したくなる。でもためらう。流れを止めてしまうのでは?良い雰囲気を壊してしまうのでは?
そんなことをうじうじグジグジ考えていたら、ふみぐら社さんがこんな記事を書かれていた。
遠慮なんだろうか。小心者? 似てるけどちょっと違う。ひねくれてるわけでもない。あ、もう満ちてるなと思うのだ。
「あ、もう満ちてるな」
ひぃぃとなった。おそらく似たような心の現象について思いを巡らせていらっしゃるのだけれど(違ったらすみません)、まったく異なる視点からの見方を教えていただいた気がして。
わたしは自分のことを「意気地なし」だと思っていた。やりたかったらやったらえーやん。考えすぎじゃない?って。でも、これってどこまでも自分側の話だ。
「その場がどうあるか」に思いを馳せたことがなかった。
大なわとびだって、今のメンバーでうまく回っているなら、あえて入らなくていい。外側から空気感を味わうという楽しみ方もある。わざわざ無理して一員にならなくてもよくて。
ただ、やらない選択をした結果、味わえるかもしれなかった「何か」を手放したことは、ほんの少し意識しておきたい。そして、どうしても手を挙げたくなったのだとしたら、ちゃんと素直に「仲間に入れて」と言いたい。
大なわとびは自分のことだけ考えていたら失敗する。ちゃんと周りにも目を配ってこそ成功に導かれる。飛ぶタイミングは見極めないといけないし、「今じゃない」とスキップする勇気も、時には必要なんだと思う。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。