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Home Sweet Hole - Bring Me The Horizon【和訳】

"どれくらいの間彷徨ったのだろう
幾度も間違い、幾度もそれ自体を忘れてきた
"


Bring Me The Horizonの3rdAlbumから1曲、Home Sweet Holeです。

希死念慮と薬物に対する葛藤が全編に渡り描かれており、
彼らのほかの楽曲と違い、それが例えではなく直接に近い言葉で表現されています。

また、彼らの5thアルバムThat's the spiritのラストトラックOh Noのサビに、この楽曲の歌詞が流用されています。

be careful what you wish for(何を願うのか気をつけろ)
哲学的なこの問いにこそ、彼の葛藤の本質があるのかもしれません。

※今回から、和訳中に解説っぽいメモ書きを挟んでいます。


Title:Home Sweet Hole (2010)
Band:Bring Me The Horizon (2004-present)
Album:3rd Album "There Is a Hell, Believe Me I've Seen It.
          There Is a Heaven, Let's keep It a Secret."
Vocal:Oliver Sykes
Lyrics:Lee Malia, Matt Nicholls, Matt Kean, Jona Weinhofen & Oli Sykes


Cross my heart, I don't wanna die
But heaven knows it seems like I try

神に誓うさ、死にたくはないけどね
でも神様は知っている
僕が死のうとしていることを

※cross my heart, and hope to die(神に誓います。嘘をついたらこの身を捧げます)が慣用的表現ですが、i don't hope wanna die(でも死にたくはないよ)と、もじった形で続いています。
このパターンは5thアルバムの楽曲Drownでも用いられており、耳に馴染んだ言葉を使いながらその逆の主張をするような歌詞を冒頭に挿入する、といったBMTHの楽曲によく見られるアプローチです。ネイティブ相手だと効果は抜群なんじゃないでしょうか。

Lost in a labyrinth for weeks on end
I live and I learn from my mistakes, then I forget them again

どれくらいの間彷徨ったのだろう
幾度も間違い、幾度もそれ自体を忘れてきた

Got a feeling in my stomach, and it just won't quit
It's subtle as a shotgun and heavy as a brick

ずっと止まないんだ
胃の中から込み上げるような感覚が
ショットガンに撃たれたみたいな、
重い重いブロック塀が溜まってるみたいな……

'Cause I'm staring at the devil, and the truth of it is
He's a lot more familiar than I'd care to admit

それは悪魔をずっと見つめているからだ
それは真実をずっと見つめているからだ
それはあまりにも身近にいる、認めたくないほどに

※more than ~ than I'd care to……で「僕には~すぎて……したくない or ……したくないほどの~だ」。care toは否定・疑問・条件分によく用いられ、「~したい」の意だそうです。参考はこちら

If only I could focus, maybe if I could see
If I didn't know any better, I would say he looks just like me

じっと凝らせば見えてくるんだ
よく知らなければ、僕はあいつを「僕自身だ」と言ってしまうんだろう

The roof is crashing down, the walls are caving in
屋根が崩れてくる、壁はスカスカの空洞だ

We discover all your stories are just works of fiction
君の嘘だらけの物語を暴くよ

The roof is crashing down, the truth is spilling out
屋根が崩れてくる、真実がベールを脱ぐ

Oh shit, I've done it again
I'm in way too far in over my head
Crossed the line so many times
That I don't even know what it stands for

何度繰り返せばいい?
戻れない場所まで来てしまって、
何度も一線を越えてしまって、
持ち堪える方法さえ分からないんだよ

※cross the lineのcrossは「交差する」ではなく「跨ぐ」です。the line = 一線、を越える、という。

※何がtoo farなんだろう?遠すぎるのか?行き過ぎているのか?
▶明らかに薬物依存の曲なので、「行き過ぎている」のほうが適切そう

Oh shit, I've done it again
I'm in way too far in over my head
Crossed the line so many times
That I don't even know what it stands for

何度繰り返せばいい?
戻れない場所まで来てしまって、
何度も一線を越えてしまって、
持ち堪える方法さえ分からないんだよ

Home sweet hole
Just be careful what you wish for
Home sweet hole
Just be careful what you say

愛しの我が家よ
何を願うのか、よく考えろ
愛しの我が身よ
何を言うべきか、よく考えるんだ

Home sweet hole
Just be careful what you wish for
Home sweet hole
Just be careful what you say

愛しの我が家よ
願う対象はよく考えるんだ
愛しの我が身よ
言うべき内容はよく考えるんだ

Got a feeling in my stomach, and it just won't quit
It's subtle as a shotgun and heavy as a brick

ずっと止まないんだ
胃の中から込み上げるような感覚が
ショットガンに撃たれたみたいな、
重い重いブロック塀が溜まってるみたいな……

Bite your tongue, just bite your tongue
You've already said quite enough

口を慎め、唇を噛め
君はもう十分語ってきただろ

The roof is crashing down, the walls are caving in
屋根が崩れてくる、壁はスカスカの空洞だ

We discover all your stories are just works of fiction
君の嘘だらけの物語を暴くよ

The roof is crashing down, the truth is spilling out
屋根が崩れてくる、真実がベールを脱ぐ

Oh shit, I've done it again
I'm in way too far in over my head
Crossed the line so many times
That I don't even know what it stands for

何度繰り返せばいい?
理解の及ばないほど行き過ぎて
幾度となく一線を越えてしまって
留まることさえ叶わない

Oh shit, I've done it again
I'm in way too far in over my head
Crossed the line so many times
That I don't even know what it stands for

何度繰り返せばいい?
理解の及ばないほど行き過ぎて
幾度となく一線を越えてしまって
留まることさえ叶わないんだ

You wear your lies like a noose around your neck
So kick the chair and let's be done with it
その輪っかはあんたの嘘で作り上げたもの
さあ、椅子を蹴って、断ち切ってみせろ

※鼻(nose)ではなく縄、ロープ(noose)です。転じて絞首刑とも。余談ですが、ロープを結んで間に何かを通す小さな輪っかのことをslipknotと言います(厳密には結び方でも区別があるそうです。そして、「何かを通す」とは何を通すかと言うと……)

You wear your lies like a noose around your neck
So kick the chair, so kick the chair

その輪っかはあんたの嘘で作り上げたもの
さあ、椅子を蹴ってごらん

You wear your lies like a noose around your neck
So kick the chair and let's be done with it

あんたの嘘がその輪っかを作り上げたんだ
さあ、椅子を蹴って、もうお終いにしよう

You wear your lies like a noose around your neck
So kick the chair, so kick the chair

あんたの嘘が首に纒わりついてるぜ
だから、早く終わりにしよう

Home sweet hole
Just be careful what you wish for
Home sweet hole
Just be careful what you say

愛しの我が家よ
何を願うのか、よく考えろ
愛しの我が身よ
何を言うべきか、よく考えるんだ

Home sweet hole
Just be careful what you wish for
Home sweet hole
Just be careful what you say

愛しの我が家よ
願いは何度も叶うもんじゃないぜ
愛しの我が身よ
言葉は言い直せるもんじゃないぜ

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この楽曲に限らず、音楽の歌詞とドラッグは切り離せない関係にあります。

ラブアンドピースの象徴楽曲であるThe Sound Of Silenceでさえ、薬物依存が生み出した楽曲だという説があります。

Disturbedのカバー、荘厳で痺れますね。


薬物はメタファーとして非常に使いやすいモチーフであり、また薬物に対する概念的な理解からか、リスナー側もそう結び付けやすいのでしょう。
薬物が名曲を生み出すのか、薬物の側が名曲の名声にかこつけて結びつこうとしているのか、それは定かではありません。

ただ、事実薬物依存を体験したアーティストが、その体験を基に描いた楽曲が存在するのは確かで、
そんな楽曲で成功を収めるのは、「薬物はいけないよ」とアーティスト自身は言いながらも、でもやっぱりあの体験があったからこそのこの曲である、そんな事実を公言している……と言われても間違ってはいないでしょう。
こういった薬物依存をテーマにした楽曲の存在を認めるか否か、という論争の原因にはなります。
まあ土台、体験した人間にしか真実は語れませんが、一方でどれだけ本人が止めようと言葉で伝えても、パンドラの箱を開けようとする人はいます。

そもそも、どうして薬物依存はダメなんでしょうか。

鬱病がなぜ病と認定されるかというと、それは普遍的に多くの人に見られる症状であり、かつ、人を死に至らしめる可能性のあるものであるから……という、あるお医者さんの見識を目にしたことがあります。
そういう意味で、薬物依存もまた、人の命を脅かす可能性があるものです。

厚生労働省の薬物乱用防止の啓発資料


ですが、僕の主張としては、ここまでは前置きです。
一般的な啓発や啓蒙活動によって「誰かの人生を台無しにしてしまうからよくないんだよ」と言われて、「なるほどな~」となる人は別にそのままで構わないですし、いや本当にそのままで過ごしてほしいんですが、
そうでなくて、例えば自死を願ったりとか、
誰かの存在を否定して殺してしまいたい経験がある人とか、
そういう人に納得のいく理由が、「人の命を脅かすから」とはならないのでは、と僕は思います。

薬物依存、自死、殺人がいけない理由は何でしょう。
人が死ぬことがいけない理由は何でしょう。

他人の人生を台無しにしてしまうから」かもしれませんが、悲しいことに、それは突き詰めると「自分がこの世に存在しなければ誰の人生も台無しにはしない」になります。
自分の人生を台無しにしてしまうから」かもしれませんが、それは音楽という博打の現場でやっていこうとするアーティストの生き様でさえ否定する意見ではないでしょうか。彼らはある意味、自分と家族の人生を棒に振って情熱に生きています。それを自分を台無しにしている、と呼べはしませんか。
自死・殺人という無秩序があると、ルールを決める側・歯車を回させる側の人間にとって不都合だから」。これだとあまりに悲しいですね。ある程度の真実が含まれている気はしますが。

むしろこうやって普遍的な論に当てはめようとすれば、逆に、
地球環境にいい影響を及ぼしているとは言えないので人類死すべきでは
これから滅んでしまう種のためにも一刻も早く我々が絶滅すべきでは
という論すら出てきます。


私見ですが、「人が死んではいけない理由」「人を殺してはいけない理由」は、究極には個人の中にしか存在しえません。
普遍的で統一的で画一的な考えで、死を否定することはできません。
生きることこそ苦痛であり、生きることこそ矛盾であり、生きることこそ他者に被害を与え、こちらも被りながらやっていく行為でしかないからです。
下手すると総体的に誰も幸せにしません。生きることで総体的幸福がマイナスになる可能性は否定できません。生きていることは奇跡じみていると思いますが、生きているだけで誰かを幸せにしているなんて詭弁です。
そうであってほしいという、受け身なだけの甘えた姿勢とすら思います。


ただ、前述の例は、「全人類に適応できる普遍的な理由」を考えているに過ぎません。
もう1つの視点として、「個人に適応できる流動的な理由」も、薬物ダメ絶対、の理由にはなるでしょう。
つまり、生きることなんて土台素晴らしくもなんともないし、意味なんてありもしないし、だから「意味を与えてくれ」じゃなくて、「お前が与えるんだよ、誰に何と言われようと」という話です。

Oliver Sykesはアーティストとしての成功、薬物依存、そして離婚を経験しています。
今は2人目の奥さんを心から愛し(mother tongueの歌詞ホント惚気すぎてて笑えてくる……)、現在6thアルバムのツアーで笑顔を見せています。
彼が薬物をやめた理由は、そして辞め続けられている理由は、
愛する人々や場所を守りたいという意思……、もっと利己的に言うならば、
「薬物より楽しいことがある」からじゃないでしょうか。

そういう納得の仕方もあっていいと思いますし、何も普遍的な理由に落とし込まなくてもよくて、
ようは一人一人が理由を持てばいいだけの話、ということを、彼は生きながらにして体現しているようにも見えます。
6thアルバムの赤裸々な歌詞を見てると特にそう思います。
正しさなんてありはしないし、誰にだって愛される保証なんてありませんが、少なくとも今の彼は幸せそうに見えますし、本人がそう思っているなら何も問題はないと思います。どんな過去もそれで充分洗い流せています。
綺麗さっぱり、ではなくとも。矛盾を孕んでいても。今彼とその周囲が笑っているなら、それでいいんじゃないでしょうか。
生きる理由なんて、利己的で限定的で自分勝手なものです。

このnoteで僕が何度も言っていることですが、
過去に死にたい消えたいと本気で思った人間が、人生を愛し謳歌する姿ほど、説得力があって、美しいものは、この世にそうないと思います。