平成最後の朝食
平成最後の朝食は、ずっと食べてみたかったSHIZUYAのカルネを食べた。京都ではおなじみのカルネ。素朴な味わいで、おいしかった。
カルネを食べながら、ふと平成の世を振り返ってみた。平成。それは、私が10〜30代を走り抜けた時代。
一言では表しづらいが、あえてまとめるなら「生きづらい」時代だったように思う。きっと先人がこの言葉を聞いたなら、嘆き悲しみ、怒るだろうと思う。
でも、私には生きづらかったのだ。とても。
戦争が終わり、戦後の高度経済成長を経て平成の世には「先進国」の仲間入りをしていた日本。安全で、物資の供給も安定し、カルチャーもどんどん生まれた。
けれど、常に「お前たちは豊かで、幸せだろう?」と先人たちの目線を浴びせられていたような気がする。幸せであるべき時代の子供として。
だから私たちは、戦争について学び、戦後どのようにして経済成長してきたのかを学び、その上での道徳を学び、正しい幸せについて学んできた。
ただ、それを学んだ後にやってきた時代は「多様性を大切に」という時代だった。そして、多様性を作ったのはまぎれもなく自分たちだった。
正しい幸せに疑問をもち、ファッション、音楽、ありとあらゆるカルチャーに興味を持ち、表現の幅を広げた。
表現の幅を広げれば広げるほど、先人が作った枠が窮屈になった。その枠から逃れるよう、表現の幅をさらに広げた。
けれど自分の奥底には未だに「幸せであるべき子供たち」として刻まれたプログラムがしっかりと残っている。
どんなに世間が「人それぞれ」と言ったとしても、結婚をして子供を持つこと、たくさんのお金を手に入れて豊かになること。そんな「幸せ」を手に入れていない自分に焦ったり、人と比べて落ち込んだりするのだ。
そして、その考えをなかなか捨てることのできていない、今の世とのギャップにも苦しむのだ。
どちらにせよ、「生きづらい」。でも実は私たちは、この生きづらさを表現し、カルチャーに変換する能力に長けている世代だと思う。
昔のように派手なファッションに身を包まなくても、ガンガン音楽をひびかせなくても、この「生きづらさ」を糧に表現しつつづければ、めちゃくちゃ面白いものが生み出せる。
昭和に生まれ、平成の世を駆け抜けた私たちは、きっと新しい時代になっても生きづらい。でもこの生きづらさは武器だ。
この武器をもって、新しい時代はもっとおもしろいカルチャーが作れるように走りぬきたい。
#平成最後の日
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?