もう、顔も思い出せなくなった君へ
心の歪み、イメージとすると心という物体(少し筋肉質な)が少しあらぬ方向に曲げられてしまって歪みが生じているその部分をどうあらわせばいいのかとか、
ちょっとした高揚感、イメージすると心が元ある位置から少し浮上してその反動につられて足が地上から数ミリ、ほんの一瞬浮き上がるとか、
そういう説明のつくようなつかないような感覚。感情ではなく、感情を受けて怒ったその感覚部分。
その部分をどう表現すればいいのかと思う。
アート作品を見た時にそれ、に近いものを感じるから何らか表せる術はありそうだが、私はそれを持ち合わせていない。
小説を読んだ時にそれ、に近いものを感じるけど、私はストーリーでそれ、を表すというのは何か違ってきてしまう気もする。
だから、やはり写真と文章で表すことが一番の近道の気がする。
とくに「哀」の感情に敏感な私は、いつか「恋を失った哀」を形にしたいと考えるようになった。
ふと、「恋を失った哀」という感情は人の思考を形成する上でとてつもなく大切な感情ではないのかと思うようにもなった。
大切なガラスの箱に入れ、大切に体内のどこかにしまった「恋を失った哀」。
もしかしたら溶けてどうかした人もあれば、暖かく柔らかなものへ変幻した人もいるだろう。
各自がもつその感情を歌、ことば、アート、などで表す個展があったら素敵じゃないかな。
だから、私はいつか「もう、顔も思い出せなくなった君へ」という展覧会を開いてみたい。
「恋を失った哀」が人に及ぼす影響も、その人の思考を作るに大切なことの1つだと、そう思うから。
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