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【東京巻き込み育児 #08】「お母さんには、聞いてません」ショックと教訓をくれたベテラン先生

太陽の国・カリフォルニアから一転、予期せぬ“東京生活”。
サンタモニカと違い、ママにとって苦しい“東京の子育て環境”の中、周囲を巻き込むことで4人の子どもを育てた私の経験からお届けする【東京巻き込み育児】。前回少し触れた“一風変った幼稚園”。当然のことながら、一筋縄では行かない、個性的な先生揃いでもありました。

今回は新米ママである私に対して、数々のショックと啓示をもたらしてくれた、ベテラン先生のエピソードをご紹介します。

前回はこちら ↓

■ 「なにしたらいいの?」と言った長女

動物のように好奇心の塊だった長女が、年中になった途端に様子が変ってきました。

先生からの報告によると

「長女ちゃんは、朝、登園後の自由時間に、“なにしたらいいの?”と毎日聞きに来ます」

とのこと。

「そうなのか、ふうん」と聞き流した私の耳に、あるときこんな言葉がグサリと刺さってきました。

それは、お母さん全体を前にして、先生がお話をしていたときのことです。

「いつもお母さんが“アレして、コレして”と指示ばかりしていると、自由時間に何をしたらいいか分からない子どもになる」

……コレ、うちの子のことじゃない! と赤面する私。

しかし先生の名誉のためにつけたすと、これは決して私だけに向けられた言葉ではありませんでした。

昨今の親子を見ていて先生が感じた事実を、淡々と述べたに過ぎません。

“子どもに対して、過剰に手を出してしまう親が多い”という、少子化の日本ではありがちな話です。

そんな先生方の言葉は時に鋭く胸をえぐることもありました。しかし私はその深い傷を見つめ直す必要があったのです。

■「お母さんには、聞いてません」

当時2歳の次女は、長女と同じ幼稚園の準年少のクラスに、週2回通っていました。

姉とは違う敷地の建物が心細かったのか、登園時、よく玄関先で泣いていました。泣きながらも、靴を脱いで下駄箱にしまう小さな丸い後姿を、今でも思い出すことが出来ます。

そんな次女が、少しずつ場所と先生に慣れてきた頃のことです。

当時のわが家から幼稚園までの道のりは、子ども達の足で歩いて15分ほど。住宅街の庭先は様々な樹木が植えられており、それらを愛でながら歩くのは、私のひそかな楽しみでした。

はらはらと舞い落ちるハギの小さな花びらを前に立ち止まった次女は、花びらをいくつか拾い、そのまま幼稚園へ向かいました。

そして到着後、玄関へ迎えに出てくれた先生に、拾った花びらを無言で差し出しました。

先生はそれを見て次女に、「まあ、きれい。なんていう花なの?」と聞きました。私は次女は花の名前が分からないだろうと思い、次女の耳に口を寄せ、先生にも聞こえるよう「はぎの花、だよね」といいました。

すると先生は私を真っ直ぐに見て、こう言ったのです。

「お母さん。お母さんには、聞いてませんよ」

と。

■ 質問の裏にあった先生の真意

途中で転入した次女は、仲良しがなかなかできず、幼稚園に行くことを嫌がっていました。

そんな次女とだんだんと距離を縮めてきた先生は、次女がお花をくれるまでに仲良くなれたことを、きっと喜んでくれていたに違いありません。

正しい花の名前を聞きたかったわけじゃないのです。違う名前でもよかったのです。

次女からどんなコトバが出てくるか、先生は楽しみにしていたのでしょう。

そんな二人の関わりに、私は横やりを入れてしまったのでした。私はまたもや赤面してしまいました。

■ 何度も赤面し、学んだこと

この幼稚園では、先生は親に敵対する存在などではなく、一緒に子ども達の育ちを見守り、喜び合う存在でした。

そんな風に、子どもの育ちを第1に考える先生方の前では、親のエゴや見栄、プライドは全くつまらないものとして、ばっさばっさと切り捨てられてしまいます。

しかしかながら、そこに非難や批判の空気はありません。

ところが最近は、これを曲解して、途中で退園することを選ぶ親が増えていると聞きました。なんとももったいないことだと思います。

愛情あふれるおせっかいおばちゃんだらけの園で、赤面してばかりの新米ママであった私は、安心して、大切なことをいくつも学びました。中でも、心に残って忘れられないある教えを、皆さんにシェアします。

「どんな子どもを見るときにも、一緒に育ち学びあう全体、全員のなかの1人として、その子を見た方がいい」

子どもをたくさん見てきた人の知恵と経験には、学ぶものがたくさんあります。

そんな当たり前の、しかし現代では得がたい事実を知ることが出来たのは、幸運だったなあと、改めて思います。

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