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【東京巻き込み育児 #02】最初から大嫌いだった「姑問題」悪者にしたかった本心とは?

太陽の国・カリフォルニアから一転、予期せぬ“東京生活”。
サンタモニカと違い、ママにとって苦しい“東京の子育て環境”の中、周囲を巻き込むことで4人の子どもを育てた私の経験からお届けする【東京巻き込み育児】。
受け入れがたい思いを胸に抱きつつ、東京移住が決まった前回。今回は、苦手だった姑への思いを描きます。

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姑は“村”の名がつく農家に産まれました。豊かな緑のなか、明るいものも、暗いものも全てを飲み込んで笑顔で勤勉に暮らす、濃い人間関係の中で彼女は育ちました。

お見合いで出会った舅は、やはり同郷の人。結婚後は東京郊外へ居を移すも、故郷へ続く高速道路の入り口が近いところが新婚住まいの第一条件。舅は極めて保守的で、旅行らしい旅行はしたことがありません。遠出と言えば、故郷へのドライブのみ。飛行機には乗った事もありませんでした。

今でこそ私は、姑は好奇心が旺盛で、旅行好きな人だということを知っています。楽しみを共有できない夫婦関係がどんなものだったのか。彼女の我慢強さが物語っているような気がします。

結婚後しばらくして、男の子を1人産みます。それが私の夫です。

■保守的な夫婦から産まれた「自由人・夫」

高校時代、卒業を目前にした夫は、地元の本屋で目に留まった、ある本を購入します。それは“留学ガイドブック”。パラパラとめくって、パッととまったページ、そこに掲載されているアメリカの大学に願書を出し、さっさと入学を決めてしまいます。

舅と姑はびっくり仰天。なにしろ、飛行機も乗った事の無い夫婦の一人息子が、知り合いもいない、言葉も通じない外国に行くと言うのですから。しかしながら夫の決意は固く、彼らは仕方なく息子を送り出したのでした。

当時を振り返って、姑は「涙が出てしょうがなかった」と語ります。そりゃあそうです。楽しみを共有出来ない配偶者を持つ姑が唯一手にしていた、キラリと光る希望である息子。その息子が、さっさとドアを開けて出て行ってしまったのですから。しかし夫は、窮屈な環境から飛び出したのです。そしてそれまで、狭い世界に無理矢理閉じ込めていたものを、思いっ切り解放するように、アメリカ生活を謳歌したのでした。

■「水と油」だった私と姑

そんな姑は、当然ながら本音を隠して生きてきました。やりたいことをガマンしてきた人生でした。開けっぴろげで、ワガママな私とは正反対。水と油もいいところです。

若く未熟な私には、姑と言う人がさっぱり理解出来ないどころか、不気味に感じていました。一見、当たり障りの無い相づちを打つ姑ですが、「内心何を考えているか分からない」というのが、一貫した私の印象でありました。彼女の相づちはいつも軽くテキトウに思えて、不愉快な気持ちになったものです。

何もかもが気に食わない。一言で言うと、私の姑への印象はそれに尽きます。

しかしその印象が間違いであった事を、私はずっと後に知る事になるのです。

■姑、波乱の予感と共にアメリカへ。


カレッジという短大を夫が卒業する時も、専門大学の卒業式も、渡米することはなかった姑が、「私と赤ちゃんがいるから」という理由で、ひとりアメリカにやってきました。そのときも、私は内心いい気がしませんでした。自分たちを頼りにするとか、やめてほしいわ……というのが本音でした。

滞在中、私が用意した料理を「脂っぽいから」と残し、こっそり夫に「生野菜が食べたい」と訴えてスーパーで買ってこさせ、外食するときには「これ“で”いい」とのたまう姑に、短期間とはいえ募るイライラ。なんで私に直接言わないの?これ“で”いい、って妥協か!失礼でしょ!

今思うと、野菜たっぷりの環境で育った姑にとって、煮物などの加熱野菜中心の私の手料理は、身体に合わなかっただけのことなのです。そして嫁の私に、単に気を遣っていただけのことです。

その部分を見ようとせず、とにかくあらゆる要素に対して、私は不満を抱き、文句を垂れ流したのでした。

■姑を悪者にしたかった私の本心とは?


「言いたい事を言わない」
「後で隠れて夫に訴える」

特にもやもやっとしたポイントはこの2つです。それについても、私は、「自分が姑に言いたい事を言わせていない」とは、露ほども思いつかなかったのです。

もとい、本当は分かっていたのだと思います。しかしそれは私にとって、見たくない現実でした。何故かと言うと、姑を悪者にしたかったから。

それでも姑は私にムッとするどころか、終始変わらない態度でした。そして、さらにそれが私を苛立たせました……と、ここまで書くと、私もよくよく、姑とは心から仲良くしたくなかったんだなあ、と、今となっては呆れてしまいます。苦笑しかありません。

しかし、このときはそれを自分で認められず、ただただ姑を悪者にしていました。私は「姑が、好きじゃない」とは、表向きは絶対に、誰にも言えなかったのです。そんな“いいお嫁さん”ではない自分が許せなかったのです。馬鹿嫁なりに、自分を責めて責めて、責めまくっていたのです。

その自責の念が、姑への憎悪として噴出している状態でした。私こそが、“言いたいことを言えていない”状態でした。

嫁姑の間に潜在的に横たわる、波乱の予感が幕を開けた。そんな趣のあった、“アメリカ最後の旅”でした。

次回は、「とうとう東京へ引っ越し!マンション社会の洗礼」についてお届けします。

★今回の教訓★
(1)姑が言いたいことを言わないときは、嫁が怖いのが大きな理由。
(2)相手を責めるのは、自分を倍以上責めている証拠。


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